服部倫卓著

『不思議の国ベラルーシ

−ナショナリズムから遠く離れて−』

(岩波書店、2004年)

 

2004年3月25日発行 四六判・上製・カバー・256頁 本体3,000円 ISBN4-00-024623-2 C0026

岩波書店HP上でオンライン購入もできます→http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/02/2/0246230.html

 

*ベラルーシに関する本邦初の単行本

*「失敗例」から考える異色のナショナリズム論

*写真多数 索引・参考文献・歴史年表も完備

 

 

 

著者からのメッセージ

 

2004年3月 服部倫卓 

 私がこの4年間、全力で取り組んできた仕事が、ついに完結しました。日本で初めての、ベラルーシに関する単行本の完成です。これまで、チェルノブイリ原発事故に関連した本、語学関係の本などはありましたが、ベラルーシという民族・国家を正面から論じた本は、本邦初となります。岸惠子さんの『ベラルーシの林檎』は、面白い本ですが、肝心のベラルーシのことはほとんど出てきませんからね。

 「ナショナリズムの失敗」、それが人間にもたらすのは不幸なのか、それとも幸福なのか? これが、本書を貫いているテーマです。ベラルーシという国を論じた本ですが、幅広い読者の方に楽しんでいただけるものと信じております。

 ベラルーシはそれ自体は目立たない国ですが、実はロシアやポーランドといった隣国のことを理解するうえでも、避けて通れないテーマなのです。何しろ、私がざっと数えたところ、本書には「ロシア」という語句が541箇所、「ポーランド」が135箇所、「ウクライナ」が83箇所、「リトアニア」が66箇所も出てきます (^レ^;) 。これらの隣国のことに関心をおもちの皆さんにも、ぜひ本書を手にとっていただきたいですね。

   

 

 

 服部倫卓著

『不思議の国ベラルーシ

 −ナショナリズムから遠く離れて−』

 

目   次

 

   序 章  ベラルーシという愛すべき例外

   第1章  悩めるナショナル・ヒストリー

     第1節  「国民の歴史」という蜃気楼

     第2節  ベラルーシに偉人はいるか

   第2章  廃墟への旅

     第1節  我が心の廃墟

     第2節  文化財はどこへ行った

     第3節  廃墟の歩き方

   第3章  絶滅危惧言語の逆襲

     第1節  国勢調査の光と影

     第2節  ごちゃ混ぜバイリンガリズム

     第3節  当世ベラルーシ言語文化事情

   第4章  さまよえる独立国

     第1節  現代ベラルーシ国民の肖像

     第2節  ベラルーシ・ナショナリズムの蹉跌

     第3節  玩ばれる独立

   終 章  生きよ、ベラルーシ

 

    あとがき

    ベラルーシ歴史年表

    参考文献

    索引

 

 

内容紹介

 以下では、『不思議の国ベラルーシ』の内容を各章・節ごとに簡単にご紹介いたします。本書では写真を多数掲載していますが、紙幅の関係で掲載できなかった写真も数多くあります。そこで、このコーナーでは、そうした泣く泣く割愛した写真 の一部も織り交ぜながら、内容紹介をさせていただきます(写真はクリックすると拡大されます)。

 

        序 章 ベラルーシという愛すべき例外

 周辺諸国の強烈なナショナリズムがつとに知られるなかで、ルカシェンコ大統領の下、一人ナショナリズムを自己否定し、ロシアとの統合をめざすベラルーシ。なぜにベラルーシだけが 「時流」に抗うのか? それともこれは民族共存の楽土か? ベラルーシの不思議現象の数々を紹介し、問題の所在を明らかにする。

独立記念日のパレード

チェルノブイリ事故で荒廃するゴメリ州

ホイニキ地区 (c)Yuriy IVANOV

       第1章 悩めるナショナル・ヒストリー

        第1節 「国民の歴史」という蜃気楼

 ある国を紹介する本の場合、その国のナショナル・ヒストリーを魅力たっぷりに語るというのが常道である。しかし、ベラルーシでそれをやると、かえって空々しい結果になりかねない。そこで、「ベラルーシがナショナル・ヒストリーを構築するうえでどのような難問に直面しているか」という、ちょっとひねった議論を試みたのが本節である。

 我が国でも「国民の歴史」をめぐる論争が喧しい。それでは、ベラルーシの「悩めるナショナル・ヒストリー」は、我々に何を問いかけるのか。

1月蜂起の指導者、

カリノフスキーがめざしたものは

        第2節 ベラルーシに偉人はいるか

 前節の延長上で、「偉人」というものを通してベラルーシの歴史と現在を考える。

 実はベラルーシでは独自紙幣に偉人の肖像が掲載されたことがこれまで一度もなく、動物やみすぼらしい建物ばかりがデザインに用いられてきた。はたしてベラルーシには、紙幣に採用するに足る偉人がいないのだろうか。

 他方、画家のシャガールなど、ベラルーシ出身の著名人というのも少なくない。国民はそうした人物のことをどう思っているのか。 ドストエフスキー、ミツキェヴィチ、コシチューシコ、スヴォーロフ、ゴシケヴィチ、グロムイコなどを取り上げる。

かつての動物シリーズの紙幣

東スラヴの印刷術の創始者スコリナ

       第2章 廃墟への旅

        第1節 我が心の廃墟

 ベラルーシを訪れる 外国人観光客は少なく、自国民も国内観光にはほとんど目を向けない。しかし、ベラルーシは数々の重要な歴史的事件の舞台となり、歴史的建造物も完全に消えてなくなってしまったわけではないのだ。

 第1節では、ベラルーシの廃墟列伝をお届けするとともに、筆者がそれらを探訪して感じたこと、考えたことを報告する。

ベリョーザ市のカルトゥジオ会修道院の廃墟

第2節 文化財はどこへ行った

 外国人が首都ミンスクの「ベラルーシ国立歴史・文化博物館」だけを見学したら、この国にはそもそも歴史も文化もなかったのかと早合点し、暗澹たる気持ちになるかもしれねい。

 でも、そのような結論を出す前に、ぜひこの第2節を読んでいただきたい。あるいは、別の意味で暗澹たる気持ちになるかもしれないが……。

 本節では、ベラルーシの文化財および博物館をめぐる状況について考察する。

知る人ぞ知る至宝「スルツク帯」

ポレシエ地方の歴史・民俗学研究の第一人者

ブレスト大学のジロバ先生

第3節 廃墟の歩き方

 確かに今日のベラルーシには普通の外国人観光客を引き付けるような古い街並みや豪華な文化財の類が乏しい。しかし、だからこそ、ベラルーシの各地を訪ね歩くことは、驚きと発見に満ちている。

 本節では、ベラルーシの人口10万人以上の都市をすべて制覇した筆者が、その経験を踏まえて「廃墟の歩き方」を伝授するとともに、ベラルーシ観光の意義について考える。

モギリョフ市の長距離バス・ターミナル

第3章 絶滅危惧言語の逆襲

第1節 国勢調査の光と影

 ベラルーシ語がロシア語に近い言語であるだけに、ベラルーシはソ連時代にロシア語化が最も進んだ民族共和国となっていた。

 1999年、ベラルーシでは独立後初の国勢調査が実施され、その結果、ベラルーシ語を「母語」に挙げる国民がソ連時代よりも増加した。ベラルーシ語協会はこれを「大勝利」と受け止めている。

 しかし、この国勢調査の結果、ベラルーシ語を日常的に用いている国民が少数派にすぎない現実もまた浮き彫りとなった。はたして「母語」とは何を意味するのか。そして、これは本当に「勝利」と言えるのだろうか。

 

第2節 ごちゃ混ぜバイリンガリズム

 

 ベラルーシ語とロシア語という2つの言語による二言語国家のベラルーシ。しかし、ベルギーのように、言語境界線で画然と二分されるような二言語国家とは大違いだ。近親の2つの言語によるバイリンガリズムゆえに、両者が無秩序に混ざったチャンポン言葉「トラシャンカ」を話している国民も多い。また、ベラルーシ語にも、何と2種類がある(?!)。

 本節では、具体的な事例やデータを挙げながら、複雑に入り組んだベラルーシの言語事情を解明することをめざす。

ルカシェンコ語録

 我々はよく「ロシアの言語」のことで咎められる。一体どこが「ロシア」だと言うのだ。ソ連政権時代に我々が創り上げたものを、なぜ放棄しなければならないのか。つまり、純粋なロシア語というのは、我々が話しているものとは違うのだ。「トラシャンカ」だとか何とか言って、馬鹿にする人もいる。確かに「トラシャンカ」かもしれないが、そんなことはどうでもいい。それでも、我々はこの言葉を創ったのである。ロシア語を基盤としてだ。なぜそれを、今になって放棄しなければならないのか。これは、旧ソ連邦の枠内における族際共通語だ。ベラルーシ語ではウズベク人は理解できないが、ロシア語ならできるのである。

第3節  当世ベラルーシ言語文化事情

 第1節、第2節を踏まえたうえで、本節では教育、出版、文学、マスコミ、舞台芸術など様々な文化的領域における言語状況を、豊富なデータを駆使して徹底検証する。

 ベラルーシ語がロシア語に全般的に押されるなかで、なぜベラルーシ語ロックが一部の若者に熱狂的に受け入れられているのか。そこに、今日のベラルーシを読み解く鍵がある。

 

ベラルーシ語ロック界をリードするN.R.M.

   
     

第4章 さまよえる独立国

第1節  現代ベラルーシ国民の肖像

 改めて問う。なぜ、一人ベラルーシは「時流」に反し、欧州統合への参加ではなく、ロシアとの統合を望むのか?

 この節では、ベラルーシで実施された全国的な社会調査の結果などにもとづき、現代ベラルーシ国民のアイデンティティ、価値観、ロシア観などを探る。

 さらに、ベラルーシの国民意識における正教会・カトリック教会の役割、ベラルーシの東西格差、ポーランド系少数民族のファクター、首都と地方の関係などについて論じる。

グロドノ市のカトリック聖堂の見事な内装

 

ボリソフ市のロシア古典様式の正教寺院

第2節  ベラルーシ・ナショナリズムの蹉跌

 ベラルーシにも、1991年の独立前後には、エスノナショナリズムが頭をもたげた一時期があった。しかし、それはすぐさま頓挫し、ルカシェンコ政権下での反動が続くこととなる。

 このような「ベラルーシ・ナショナリズムの蹉跌」を回顧するに、民主派と民族派が共闘するのではなく、足を引っ張り合ってしまったというベラルーシの特殊事情が浮かび上がってくる。

 本節では、ベネディクト・アンダーソンやアントニー・スミスらによるナショナリズム論を踏まえつつ、ベラルーシにおけるナショナリズムのあり方を改めて問い直す。

 

民主派知識人を束ねる「ベラルーシ・

シンクタンク協会」のブリーフィング

   

第3節  玩ばれる独立

 

 ロシア政界への進出をめざし、同国との国家統合に血道を上げてきたルカシェンコ大統領。しかし、1999年12月の「連合国家創設条約」がルカシェンコにもたらしたのは、まったく予想外の事態であった。

 ロシアにおけるプーチンからエリツィンへの政権交代に伴い、ロシア・ベラルーシ間の虚虚実実の駆け引きは、熾烈の度を増している。本節では、その力学の深層を探る。

   

4月2日はベラルーシ・ロシアの「統合記念日」

とされ、ベラルーシでは横断幕も見られる

     

終 章 生きよ、ベラルーシ

 はたして、ベラルーシは「民族」として、「国家」として、これからも「生きる」のか?

 終章では、本書の総括を行いつつ、ベラルーシの行く末について長期的な展望を行う。グローバリゼーションの時代の民族形成とはいかなるものか。

 そして、我々はベラルーシの経験から何を学ぶのか。ベラルーシはナショナリズムについて何を教えてくれたのか。

ベラルーシ外貨証券取引所のディーリングルーム 

ベラルーシも否応なしにグローバリゼーションに

巻き込まれていく……

2000年の議会選挙の投票風景

国民は何を考え、何を選択するのか

 

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