ミンスク物語&ギャラリー

 ミンスクは、もともとはポロツク公国の要塞としてスヴィスロチ川右岸の小高い丘に築かれ、それが街として発展していった(スヴィスロチ川はベレジナ川の支流、ベレジナ川はドニエプル川の支流)。語源については、交易を意味する「メナmena」から来たという説、近郊にあった「メンカMenka」という川の名に由来するとの説、人名(「ミンチMinch」なる人物、または古代の勇者「メネスクMenesk」)からという説があり、はっきりしない。年代記で初めて言及されるのが1067年、有名な「ネミガの戦い」に関連してである。その後ミンスク公国の首都となるが、14世紀にリトアニア大公国の版図に組み込まれた。1569年のルブリン合同でポーランド王国とリトアニア大公国が連邦国家を形成して以降は、実質的にポーランドの支配下に入った。交通の要路にあり、天然の防壁を欠くため、17世紀のロシアとの戦争以来、何度となく戦乱による破壊にさらされた。第2次ポーランド分割(1793)によりロシア領となり、ミンスク県の中心都市として発展を遂げることになる。1870年代にモスクワ〜ブレスト間の鉄道が開通し、ミンスクの交通路としての重要性が高まる。ベラルーシの都市の例に漏れず、帝政末期にはミンスクの人口の半分近くがユダヤ人であり、ベラルーシ人はごくわずかだった。ロシア社会民主労働党(のちのソ連共産党)の創立大会は1898年にこの街で開かれている。

 ミンスクがベラルーシの中心という地位を獲得したのは、20世紀に入ってからと言える(そもそも、「ベラルーシ」というものが独自の存在として認められるようになったのが20世紀に入ってからなのだが)。ベラルーシ民族運動の中心地は、むしろ現リトアニアのヴィルニュスであった。1919年に最初に「白ロシア(ベラルーシ)ソビエト社会主義共和国(BSSR)」が宣言された場所は、現ロシアのスモレンスクだった。その後すぐにミンスクがBSSRの首都とされたものの、両大戦間期には西ベラルーシがポーランドに編入されていたので、ミンスクが対ポーランド国境に近すぎることを安全保障上の脅威と見たソ連当局は、BSSRの首都を東のモギリョフに移す準備を進めていた(実際、モギリョフには当時建設された政府庁舎が今も残っている)。結局、ソ連が西ベラルーシをポーランドから奪還したことにより、ミンスクは地理的にもベラルーシのほぼ中心になり、これによりミンスクの首都としての地位が固まったと言っていい。

 第2次大戦により、ミンスクは街がほぼ灰燼に帰す壊滅的破壊をこうむったが、戦後目覚しい復興を遂げる。戦中にナチスのジェノサイドによりユダヤ人が激減し、戦後これに代わって農村からベラルーシ人が大量に流入、ミンスクの人口は世界でも稀に見るテンポで急激に膨張した。中心部の景観も、スターリン式建築を主体としたソ連風のものに変貌してゆく。産業面では、トラック、トラクター、家電などの部門でソ連を代表する生産拠点となった。1973年には、ミンスクは日本の仙台市と姉妹都市となっている。

 1991年暮れのソ連解体に伴い、独立国家ベラルーシ共和国の首都となる。最新の人口は約170万人。1999年の国勢調査によれば、ミンスク市の民族構成はベラルーシ人79.3%、ロシア人15.7%、ウクライナ人2.4%、ポーランド人1.0%、ユダヤ人0.6%などとなっている。なお、バルト3国を除く旧ソ連12カ国で構成する「独立国家共同体(CIS)」の本部(執行委員会)は、1992年の創設時からミンスクに置かれている。

 

ベラルーシの首都ミンスクのフォト・ギャラリーをお届けします。

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  ヴェルフニー・ゴーラド

ミンスクの歴史的中心地。私のアパートからの眺め。

  自由広場

カトリックのイエズス会聖堂が見える(我が家も)。

  大聖堂広場

おそらく20世紀初頭くらいの絵葉書。今の「自由広場」は、かつては「大聖堂広場」と呼ばれていました。

  革命通り

名前はおどろおどろしいけれど、由緒ある通りで、昔のミンスクの面影が感じられます。

  ネミガ地区

綺麗? きたない? 意見の分かれるミンスクの街並み。

  トロイツコエ・プレドメスチエ

戦後に復元された「新しい」旧市街。拙著『不思議の国ベラルーシ』p.90に、これに関するうんちくがあります。

  聖霊主教座聖堂

ベラルーシの正教会の総本山。ミンスクのシンボル。正教のクリスマスの日に撮った1枚です。

  聖シモン・ヘレナ聖堂

独立広場にあるカトリック教会。拙著『不思議の国ベラルーシ』pp.75〜76にこの教会にまつわる思い出話が。

  独立広場

7月3日の独立記念日の軍事パレードの様子。拙著『不思議の国ベラルーシ』pp.16〜18で、同国の「独立記念日」に関する談義を披露しております。

  勝利広場

第二次大戦のナチス・ドイツに対する勝利を記念。永遠の火が灯る。

  ベラルーシ国立歴史・文化博物館

拙著『不思議の国ベラルーシ』第2章第2節「文化財はどこへ行った」で、この博物館のことを詳しく取り上げています。

  グム百貨店

これが現在のミンスクの最中心部。マクドナルド1号店も見える。

  ミンスク駅

最近完成したばかりの鉄道駅。

  ベラルーシ大統領府

実はこの写真を撮った直後に私服警官に呼び止められ、フィルムを没収されそうになりました。

  ミンスク・トラクター工場

ミンスクにある大規模な工場の一つ。

  ミンスク郊外の団地街

何しろミンスクは人口170万の大都市ですからね。中心部を少し離れると、このような団地街が延々と続いています。

 

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