北海道大学大学院で博士号を取得

 本コーナーでも何度か言及してきたとおり、私は2014年4月からロシアNIS貿易会には引き続き在職しつつ、北海道大学大学院文学研究科博士後期課程(歴史地域文化学専攻・スラブ社会文化論)に入学し、研究を続けてきた。そして、このほどようやく博士論文「ロシア・ウクライナ・ベラルーシの通商・産業比較 ―地政学危機の中の経済利害―」を完成させ、12月25日に博士(学術)の学位を授与された。

 博士課程を3年で修了するためには、本来は2016年11月末までに博士論文を提出する必要があった。しかし、それにはとても間に合わず、3ヵ月ずつ3回、計9ヵ月締め切りを伸ばして、最終的に2017年8月末の提出となった。白状すると、私は東京外語の学部の時には卒業論文が間に合わずに1年留年し、青学の修士の時にも修士論文が間に合わず在学を半年伸ばした前科があった。三度目の正直とばかりに、博士論文は当初の期限内に出そうと自分に誓ったのだが、三度目の嘘つきになってしまった。

 私は大学院に入るに当たって、「経済学者として自己確立する」という目標を定め、なるべく経済学に純化した研究・論文を目指そうと思っていた。入学の際に掲げていた研究テーマは、「ロシアの地域経済開発」というものだった。しかし、ちょうど大学院の入試(一応そういうものがある)を受けていた2014年2月頃に、まさにウクライナ情勢が風雲急を告げていた。日本ではウクライナ研究者は希少なため、2014年秋にウクライナをテーマとした学会報告を3本もやることになってしまった。また、2015年夏に幕張で開催される大規模な国際会議で、ベラルーシについての報告をしてほしいという依頼も別途受けた。これだけ学会報告が続くことを考えると、大学院の研究テーマもそれに引き付けないと、とてもじゃないが乗り切れないぞと考え、私は大学院の研究テーマを「ロシアの地域経済開発」から「ロシア・ウクライナ・ベラルーシの通商・産業比較」に切り替えたのだった。

 なるべく経済学に特化するという当初の目論見も、崩れていった。最終的に出来上がったのは、経済学の論文というよりも、経済を争点とする地域研究・国際関係研究の論文であった。むしろ、自分はプロパーの経済学者ではなく、あくまでも地域研究者なのだという現実を再認識したのが、この3年9ヵ月だったと言える。そのことを特に痛感したのが、2014年7月に起きたマレーシア航空機撃墜事件だった。今まであまり人に言ったことがないが、実は私がロシア(当時はソ連)研究を志した最初のきっかけは、1983年9月の大韓航空機撃墜事件だった。民間航空機を撃墜する国というのは、一体どういう国なのかという疑問を抱き、いわば「敵を知る」ためにソ連研究を志したのだった。最初は経済ではなく、安全保障志向だったわけで、その後色んな経緯があり、経済研究にシフトしてきたのである。しかし、「さあ、大学院で経済学に特化だ」と思ったその矢先に、30年あまりの時を経て、再び民間機が撃墜される事件が起きた。マレーシア航空機撃墜事件の際、私は大学院での初めての発表を行うために札幌に滞在していたのだが、事件に関する分析やコメントを求め携帯に電話をかけてくるマスコミに対応していたりすると、まるで自分のロシア研究のルーツに追いかけられているような、とても奇妙な感覚を覚えた。

 結果的に、当初意図したような経済学らしい経済研究でなくなったとはいえ、自分の取り組んだ研究が無価値だとは、むろん思っていない。本研究の対象地域であるロシア・ウクライナ・ベラルーシにおいては、本来は経済発展を図るための地域経済統合のイニシアティブ(ユーラシア統合とEUの近隣諸国政策)同士がぶつかり合って、内包されていた地政学的対立が前面に出ることとなり、そして激化した地政学対立が地域の経済を激しく揺さぶるというダイナミックで複雑な過程が生じた。こうした現実に鑑みれば、経済問題を政治問題から切り離すのではなく、むしろ両者の相互作用に着目しながら分析したことには意味があったと考えている。

 さて、当てが外れた話をもう一つすると、私はせっかく北大に入ったら、大学に出かけるついでに、北海道をあちこち旅してみたいと思っていた。道東とか道北はまったく行ったことがないので、釧路、根室、稚内など、この機会にぜひ行ってみたいと考えた。ところが、なかなか予定が合わない。せめて、最後に学位を授与された時だけでも、卒業旅行としゃれこみたかったのだけど、学位授与が12月になったので、北海道旅行にはきわめて不向きな季節となってしまった。仕方がないので、今回は、札幌から比較的行きやすい登別温泉で2泊だけして、自分へのプチご褒美とした。ただ、登別をはじめとする北海道の観光地は、今や完全に中国人と韓国人によって占拠されているような雰囲気で、和の癒しを求めたはずが、実際には中国の地方都市にでも出かけたような感じで興醒めだった。

(2017年12月30日)

ベルギーでサッカー日本代表とニアミスした件

色とりどりの・・・

 11月1~7日にベルギーに調査出張に出かけ、ブリュッセルでEUおよびNATO本部等での聞き取り調査を実施してきた。これは、私の所属団体であるロシアNIS貿易会の事業ではなく、個人的に参加している大学の研究プロジェクトの一環である。所属団体では、事業対象国に出張に行くのが原則であり、それ以外の国への調査出張は、私にとってはきわめて貴重な機会である。実際、西ヨーロッパに立ち寄るのは、2005年のフィンランド以来である(EU圏でも中東欧のスロバキア、ルーマニアなどにはちょっとだけ立ち寄ったことはあったが)。フィンランドを西ヨーロッパと呼ぶのが苦しければ、西ヨーロッパ体験はもっと遡り、2000年頃に英ロンドンに行って以来かもしれない。

ブリュッセル観光の中心、グラン・プラス

 西ヨーロッパの中で、ブリュッセルがどのくらいの位置付けの観光地なのかは良く分からないが、基本的に旧ソ連のCIS圏にしか出入りしない私から見ると、まばゆいばかりの花の都である。そう言えば、以前チェルノブイリ関連の交流事業か何かで、ベラルーシのミンスクを訪問した日本人小学生の感想文を読んだことがあるが、「街がお城のように綺麗でびっくりしました」とか書いてあって、いたたまれない気持ちになった。本当に綺麗なお城のような街というのは、こういうところなのだよと、ブリュッセルの旧市街を見せてあげたい気がする。

欧州委員会

欧州委員会のエネルギー総局を訪問した時の入場証

NATO本部を訪問した時にもらったグッズ
鍵の形をしたUSBメモリに、「安全保障への鍵」と乙なことが書かれている

 さて、11月上旬にブリュッセルに出張することが決まった後、「11月中旬にサッカー日本代表がベルギーに遠征してブラジル、ベルギーと親善試合をするらしい」という情報をキャッチし、ちょっと日程がずれていたら現地で観戦できたかもしれなかったのになと、残念な思いがした。もっとも、後から判明したところによると、11月10日のブラジル戦はフランスのリールが会場であり、11月15日のベルギー戦はベルギーの中でも地方都市のブルージュでの開催だったので、仮に日程的に重なったとしても、スタジアムを訪れるのはまず無理だっただろう。

 後から調べて分かったのだが、どうもベルギーの首都ブリュッセルには、「これぞ」というサッカー専用スタジアムが存在しないらしい。近年、ベルギー代表の試合は通常、ボードゥアン国王競技場というところで開催されているようだが、ここは陸上トラック付のスタジアムであり、昨今西欧で主流となっているような臨場感あるサッカー専用スタジアムとはまったく異なる。ちなみに、このスタジアムは1985年にヘイゼルの悲劇(UEFAチャンピオンズカップ決勝のリヴァプールVSユヴェントス戦でサポーター同士の衝突により多数の死傷者が出た事件)が起きた舞台に他ならず、その後しばらくサッカーの試合には使われなかったが、改修を経てようやく1995年にベルギー代表チームが使用するようになったそうだ。

 11月15日の日本VSベルギー戦は、ブルージュのヤン・ブレイデルスタディオンが会場となった。こちらは約3万人収容のサッカー専用スタジアムで、改修工事を経て2000年のユーロで使用された実績もあるものの、かなりオールドファッションなスタジアムらしい。ベルギーや近隣諸国からある程度在留邦人が詰めかけたようだが、一部でテロ情報が取り沙汰される中、日本人向けのセキュリティチェックはユルユルたったという話を聞いた。私は日本帰国後にテレビで観戦したが、試合開始当初は空席が目立ったものの、試合が進むに連れ観客席が埋まっていったようである。日本とは異なり、クラブを中心にサッカーが回っている欧州では、代表チームが地方都市で親善試合をやったりすると、閑古鳥が鳴いたりすることもあるわけだが、ベルギーは代表人気は高いんだなという印象を受けた。考えてみれば、ベルギー代表選手の多くはイングランド等の外国の一流リーグでプレーしており、ベルギーのサッカーファンにとって代表プレーヤーたちを自国で見られる機会は貴重なのかもしれない。むしろ日本代表チームの方にベルギー国内リーグでプレーしている選手が目立つというねじれ現象が、面白いなと思った。

 このように、私のベルギー滞在はサッカー日本代表とは日程が微妙にずれてしまったが、私の場合、ある国を知る上でサッカーというものを一つの手掛かりにすることにしているので、可能であれば、ベルギー国内リーグの試合を観てみたいと思った。調べてみると、自由行動が許される11月5日(日)の夜に、RSCアンデルレヒト対クラブ・ブリュージュという試合がブリュッセルで開催されることが分かった。アンデルレヒトはUEFAのカップ戦にも出場する名門なので、ぜひ観てみたいという興味が湧いた。私のイメージでは、ベルギーの国内リーグがそんなに切符入手が困難ということはないはずで、当日フラっと会場に行けばチケットが買えたり、最悪ダフ屋から買ったりすることも可能ではないか、と想像していた。

 しかし、私の当ては完全に外れ、結論から言うと、アンデルレヒトVSブリュージュをスタジアム観戦することはできなかった。まず、予想外だったのは、試合の数日前にネットでチェックしてみたところ、アンデルレヒトVSブルージュはチケット完売となっていた。ベルギーは狭いので、どこか別の都市に行ってそこで試合を観ようかとも考えたが、他の試合もやはり完売だった。ベルギー国内リーグがここまで集客率が高いというのは、予想していなかった。まあ、アンデルレヒトの場合、一つには、ホームスタジアムの収容人数が3万人弱と、首都のビッグクラブにしては小さいことも一因なのかもしれない。聞くところによると、現スタジアムを拡張するとか、別の場所に新スタジアムを建てるという構想もあるようだ。もしもアンデルレヒトのスタジアムが5万~6万の規模があったら、ベルギー代表もそこで試合をするのではないか。

 また、これも後から分かったのだが、ベルギー国内リーグのチケットを買うには、まず手数料を払ってID登録しなければならないということであり、一見さんがフラっと観に行くには少々面倒であることが判明した。また、ベルギーのスタジアムは、基本的に荷物持ち込み禁止ということであり(完全に手ぶらで入場しなければならない)、荷物を預けるような場所もないので、これまた日本人の旅行者が行き当たりばったりで行くには不便である。ID登録といい、荷物持込禁止といい、おそらくテロ対策なのだろう。

 そんなわけで、これはスタジアム観戦は無理だなと悟ったものの、現地の様子だけでも見てみたいと思い、私は試合のある日曜夜にスタジアムを訪れてみることにした。試合が観れなかったとしても、スタジアムの佇まいを味わったり、サポーターの様子や警備の状況を観察したり、することはいくらでもあるし、それに旅先で地元サッカークラブのグッズを買うのが私の趣味の一つである。ホテルとスタジアムは地下鉄一本で結ばれているので、一人地下鉄に揺られアンデルレヒトを目指した。

こんなTシャツが85ユーロもするとは、いい商売ですな

 スタジアムは、ブリュッセルの中心から見ると、西の外れの住宅街にあった。中心部からそれほど離れているわけではないものの、今日では移民が多く治安の悪い地区とされているようで、友人によれば日本人は普通行かないような界隈なのだそうだ。ただ、客層は完全に昔ながらのブリュッセルっ子たちであるように見受けられた。

 しばらくスタジアム周辺を散策してサポーターの様子を眺め、スタジアムに併設されているファンショップでグッズを購入した。まあ、ガチなユニフォームなんか買っても着る機会はないから、普段使いしやすそうなTシャツをチョイス。近所のパブで試合のパブリックビューイングをしていたので、最初の方だけそれで試合を観て、夜がふけないうちに、前半途中で退散することにした。試合結果はスコアレスドローだったようだ。現地観戦はできなかったけれど、ベルギー国内リーグの雰囲気の一端を知ることができてよかった。

(2017年11月30日)

ロシアのときめきネット通販生活

 個人的に、ネット通販は好きである。買う商品は、本、CD、日用品など。本やCDは、なるべく実店舗で買いたいという気持ちはある。しかし、私に関係のあるような専門的な本、マニアックなCDなどが、実店舗に置いてあるはずはないのである。しばらく前までは、ヨドバシカメラ・マルチメディアAkibaにある有隣堂書店、タワーレコードを基本的に利用していたが、ブログで愚痴ったとおり、1年半ほど前に両店舗が大幅に縮小し、それ以降は完全に足が遠のいた。よく、街の書店、CDショップなどが消滅しつつあることを文化的喪失として嘆く声も聞くが、そもそも街の本屋には漫画、雑誌、ベストセラー、そしていかがわしいアイテムくらいしか置いてないしねえ。

 私が主に利用するネット通販は、やはりAmazonだ。日本で納税していないらしいので、こういう犯罪的な会社はなるべく利用したくないが、上述のような私に関係のあるマニアックなCD等の品揃えが圧倒的に優れているし、日本発のいくつかの通販サービスはAmazonの充実度には到底かなわないので、やむなくAmazonのヘビーユーザーになってしまっている。日本の総選挙で、「Amazonに課税します」と公約する政党が1つくらい出てきてもよさそうなものなのに、そういう面白い政党が1つもないことが不満だ。

 そんなこんなで、ネット通販には個人的な関心が強いということもあり、ロシアのネット通販事情のことが気になったので、ちょっと情報を探ってみた。いくつかの情報源が見付かったが、その中で、こちらのレポートが良くまとまった内容だったので、主な中味を以下でご紹介する。

 まず、このレポートによると、2015年現在、ロシアのネット通販の市場規模は7,400億ルーブル程度であり、小売市場に占める比率は3.7%程度というのが、最大公約数的な推計値だという。ちなみに、こちらの情報によれば、日本ではネット通販市場は15.1兆円、ネット通販比率は5.4%ということである。

 最初に掲げた表が、2015年のロシアにおけるサイト訪問者の数に応じた通販サイトのランキングである。その次の表が、2015年のロシアにおける売上高の順に並べた通販サイトのトップ10である。訪問者と売上高で、まちまちの結果になっている。訪問者が多いのは、AliExpress、OZONという、総合的な通販サイトである。私の認識によれば、AliExpressは中国系のアリババ・グループの通販サイトで、OZONはロシア独自のサービスのはずである。たた、AliExpressのサイトを眺めると、新品だけでなく中古品やジャンク品の類も見られ、もしかしたらメルカリ的な機能も果たしているのかもしれない。OZONのサイトの方が、より一般的な通販サイトという印象を受ける。なお、ロシアにおけるAmazonの存在については、以前ブログで書いたとおり。一方、売上高のランキングでは、リピート率や単価が高そうなハイパーマーケット系、アパレル系、家電系が上位を占める。

 2013~2014年のロシアのネット通販の販売高を、カテゴリー別に整理したのが上図である。単位は10億ルーブル。アクセサリーと装飾品がどう違うのかは謎。

 最後に、今後ロシアの小売販売高(ネットだけじゃなく全体)がどう成長していくか、その中でネット通販の比率がどのくらい高まっていくかの見通しを示したのが、上図である。2020年時点でネット通販比率が6.2%に高まるという見通しが示されている。

(2017年10月28日)

『ベラルーシを知るための50章』が刊行されました

 このほど、明石書店の「エリア・スタディーズ」のシリーズより、服部倫卓・越野剛(編集)『ベラルーシを知るための50章』が刊行された。この共著の趣旨につき、「はじめに」の中で私は次のように述べている。

 ベラルーシ共和国は、ソ連邦の解体に伴い1991年暮れに独立した新興独立国です。大国ロシアと欧州の狭間に位置する、人口約950万人のこの小国は、日本では決して知名度が高くありません。ただ、世界的な芸術家のシャガールを生み出したこと、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチが2015年のノーベル文学賞を獲得したことなどから、文化的な観点からこの国に関心を抱く方はいらっしゃるかもしれません。美人の女性が多いとか、アレクサンドル・ルカシェンコ大統領という「欧州最後の独裁者」のいる国というイメージもあるでしょうか。2011年に日本で重大な原発事故が発生したため、人類史上最悪の原発事故であるチェルノブイリ事故の最大の被害地域として知られるベラルーシの経験を学ぼうという方もいらっしゃるでしょう。

 ベラルーシという独立国が成立してから四半世紀。この間、日本とベラルーシの間では、決して大掛かりではありませんが、外交、経済、文化、スポーツ、そしてすでに述べた原発関連など、様々な交流が行われてきました。本書は、いわゆる研究者に加えて、そうした各分野でベラルーシとの交流にかかわってきたスペシャリストの皆さんの参画も得ながら、それぞれの観点から見たベラルーシを語っていただくことを主眼に、編集したものです。とはいえ、なるべく多様な執筆者にご参加いただこうと最大限の努力はしたものの、日本のベラルーシ研究者・関係者の層は決して厚くないので、結果的に編者の書いた章の数が多くなってしまいました。その点は、どうぞご容赦ください。

 本書の固有名詞の表記について、説明させていただきます。本書では、ベラルーシの地名・人名の表記につき、ロシア語読みで表記することを原則としています。今日のベラルーシにおいては、ロシア語とベラルーシ語がともに同格の国家言語とされており、そのうち使用頻度が高いのは明らかにロシア語ですので、このような方式を選択した次第です。ただ、巻末に地名・人名索引を掲載しており、その索引がロシア語読み・ベラルーシ語読みの対応表も兼ねていますので、ご利用いただければ幸いです。

 最後の地名・人名索引は、私がこだわった点である。私がそもそも索引というものを重視していることに関しては、10年以上前に「索引、我が命」というエッセイを書いているので、そちらを参照していただきたい。もっとも、その後、索引をめぐる状況には、小さからぬ変化があった。というのも、電子書籍が登場し、また学術論文や各種のレポートなどもPDF版で手に入るようなケースが増え、デジタル的に文字列検索できる技術的可能性が広がったからである。日本の出版業界のように、索引についての意識が低く対応が遅れていても、電子書籍ならば検索自体は可能になるわけだ。ただ、少なくとも日本では、単行本は電子化されないことの方が多い。そうした中、特に私がかかわることの多い海外事情に関する書籍において、索引が付いていないなどということは、私にとってはまったく信じられないことである。明石書店の「エリア・スタディーズ」のシリーズでも、索引が付いているケースは従来なかったようだが、今回は出版社側に強くお願いして、それを実現することにした。地名・人名に限った簡略版の索引ではあるが、地域のガイド本としてはとりあえず事足りるはずであり、あるのとないのとでは全然違うはずである。しかも、ウクライナやベラルーシを取り扱った刊行物では、固有名詞をロシア語読みするか、現地語読みするかという問題がついて回るが、今回のベラルーシ50章では地名・人名索引にロシア語・ベラルーシ語対応表を兼ねさせるというアイディアを用い、その問題のひとまずの対処を図ったというわけである。

 振り返ってみると、私が今回の『ベラルーシを知るための50章』の企画を発案し明石書店に持ち掛けたのは、今から3年あまり前の2014年前半頃だったと思う。言うまでもなく、当時ウクライナ危機が山場を迎え、世間一般のウクライナへの関心がかつてなく高まっている状況だった。そうした中、私は、地味な国でも、いつ何時、注目を浴びるかもわからないわけだから、日頃から地道に研究を続けることが大事で、たとえばベラルーシについての注目が集まった時に、簡単に手に取れる入門書のようなものを用意しておくことが必要であり、その使命を果たすのは自分しかおるまいと思って、出版企画を立てたのだった。

 ベラルーシに関しては、2004年に単著『不思議の国ベラルーシ』を上梓し、この国についての自分なりの見方はすでに示しているわけだが、それから十余年が経過して情勢が変わった部分もある。また、今回は文化や歴史に造詣の深い越野剛さんという頼もしいパートナーを共編者として得た上に、多様な執筆者にご参加いただいて、それぞれの立場からベラルーシを語っていただき、バラエティ豊かで楽しい内容になっている。ぜひ本書を手に取って、ベラルーシを知る機会としていただければと思う。

(2017年9月28日)

間の悪い人生

 「今取り組んでいる博士論文を書き終える8月末までは、このコーナーは手抜きとなる」ということを、再三申し上げてきたが、それもあと数日となった。まあ、一通り書き終えること自体はできそうな見通しにはなってきた。しかし、運が悪いことに、もう一つの大プロジェクトである、ベラルーシについての出版企画の締切も、この8月末になってしまった。どちらも、もう3年ほど取り組んでいるプロジェクトなのに、成り行きによって、なぜか同じ締め切りになってしまった。まったくもって、間が悪い、こういう人生だとしか、言いようがない。

(2017年8月26日)

ロシア・ワールドカップに期待したい正の遺産

 何度も申し上げているとおり、今取り組んでいる博士論文を書き終えるまでは、このコーナーは手抜きとなるので、ご容赦を。何しろ、5年以上、毎日更新し続けてきたブログですら、休止している状態なので。

 先日、「宇都宮徹壱WM創刊1周年記念イベント」にお招きいただき、サッカー・ワールドカップ開催を1年後に控えたロシアの現状について報告する機会を与えられた。その時に作成した図表をお目にかけて、今月のエッセイに代えさせていただきたい。

 この報告の中で私が伝えたかったのは、次のような点だった。残念ながらロシアではサッカー熱は低く、特に国内リーグ戦に関心を寄せたり、地元クラブを応援したりする機運はほとんどない。その一因は、老朽化し、陸上トラック付きで臨場感のないスタジアムにある。しかし、ワールドカップに向けて、ロシアでは12の近代的なサッカー専用スタジアムが誕生しようとしており(下表参照)、それ以外にもモスクワのビッグクラブが自前の新スタを整えつつある。2002年にワールドカップのホスト国となりながら、首都・東京にまともな専用スタジアムが1つもない日本とは大違いである。これまでロシアでサッカー専用スタジアムがほぼ存在しなかったことを考えれば、これは劇的な変化だ。世界的に、ワールドカップやオリンピックの競技場が負の遺産になる現象が問題視されているが、もしかしたらロシアはワールドカップのレガシーを活用して、サッカー文化を育んでいける可能性があるのではないか。そうした期待を抱かせる、成功体験と言えるのが、スパルタク・モスクワの事例である。スパルタクは2001年にリーグ優勝した後、長らく優勝から遠ざかっていたが、2014年に自前の新スタジアムが誕生したことで観客動員に弾みがつき、2016/17シーズンにはついに久し振りの優勝を成し遂げた(下図参照)。とまあ、こんな報告をさせていただいたわけである。

(2017年7月30日)

5分で分かるロシア・ウクライナ・ベラルーシ史

 何度も申し上げているとおり、今取り組んでいる博士論文を書き終えるまでは、このコーナーは手抜きとなるので、ご容赦を。

 ウクライナおよびベラルーシについての講義・講演をする際に使うために、このほど下図のような図を作成した。東スラヴ系の3兄弟であるロシア・ウクライナ・ベラルーシという民族・国家が、どのような歩みを辿ってきたのかというのを、細かい話は抜きにして、思いっ切りざっくりと図示したら、こうなりました、というものである。

 こうやって見てみると、結局この地域の歴史とは、突き詰めて言えば、ロシアとポーランドの攻防の軌跡に他ならず、そのやり取りの結果として生れ落ちたのが、ウクライナおよびベラルーシという存在なのだろう(なんて言うと当のウクライナ人、ベラルーシ人は怒るだろうが)。

(2017年6月28日)

500号と1000号

 再三申し上げているとおり、今取り組んでいる博士論文を書き終えるまでは、このコーナーは手抜きとなるので、ご容赦を。

 さて、私がもう30年ほど愛読している『レコード・コレクターズ』という雑誌がある。その通称『レココレ』が、先日発行された2017年5月号で、通巻500号を迎えた。その記念号の表紙が、下に見るようなものだった。

 これを見て、個人的に思い出したものがあった。私が編集長を務めている『ロシアNIS調査月報』も、2年ほど前に発行された2015年7月号で、1000号の節目を迎えていたのである。その号の表紙が下に見るようなものであり、まあ素人の私が自分でデザインしたものなので洗練されてはいないが、デザインの基本コンセプトが似てるなと思った次第である。まあ、節目の記念号というものは、誰が考えても、こんな感じになるのだろうか。いずれにしても、自分の私生活の愛読誌と、仕事のライフワークの雑誌が、相次いで大きな節目の号を迎えたということで、ちょっとした感慨を覚えたわけである。

 レココレと、うちの月報では、発行部数が2桁くらい違うはずだけど、どちらもそれぞれの業界で一定のニッチを確保しており、だからこそ500号、1000号の節目を迎えられたのだと思う。しかし、紙の雑誌が読まれない時代になっており、今後もずっと同じ形で安泰かというと、良く分からない。レココレが主な守備範囲としている古典ロックなんかは、時代に連れて聴く人が減っていくだろうし、増してや音源をフィジカルな形で収集しようとするコレクターなどはますますマイノリティになっていくだろう。うちの月報の場合は業界団体の機関誌なので、ある程度安定性があるが、レココレのような純商業ベースの雑誌の方が、世の趨勢に翻弄される度合いが大きいかもしれない。まあ、私が元気なうちは、レココレを一読者として支え、調査月報は作り手として支え続けたいと思う。

(2017年5月28日)

世にも奇妙な年度またぎ

 今取り組んでいる博士論文を書き終えるまでは、このコーナー、手抜きとなるので、ご容赦を。

 春ですねえ。新しい年度の始まりです。当方、あまり活動的な人間ではないのだけれど、今回、旧年度から新年度にかけて、妙なまたぎ方をした。

しかし、東京ドームの人工芝、汚いなあ。非日常を演出する競技場では、芝の美しさは重要だよ。

 3月31日に、日本プロ野球のセパ両リーグが開幕。東京ドームの巨人VS中日の開幕戦を、他の中日ファンの方と一緒に観に行くということは、前から決まっていた。ところが、数日前になって突然、大阪の朝日放送から、「教えて!ニュースライブ 正義のミカタ」という番組に出演し、反政府デモなどに揺れるロシアの最新情勢を解説してほしいと依頼された。反政府デモとか、政治家の暗殺とか、日ロ外交とか、必ずしも得意分野ではないのに、なぜ私に依頼が来たのか謎だったが、それ以上に困ったのは日程である。東京ドームのプロ野球開幕戦が3月31日(金)夜で、くだんの大阪の生放送が4月1日(土)の午前中であり、土曜日の始発の新幹線や飛行機で行くと、出演に間に合うかどうかが微妙だった。結局私は、東京ドームの野球観戦は8回までで切り上げ、その夜、東京発新大阪行きの最終の新幹線に乗って大阪に向かったのである。それにしても、個人的に新幹線のグリーン車というものに、初めて乗ったなあ。

 それにしても、MCの東野幸治さんをはじめ、日常的にテレビに出ている人は頭の回転がとてつもなく速く、反射的に気の利いた言葉が出てくるところが凄い。この「教えて!ニュースライブ 正義のミカタ」という番組は、バラエティ仕立てではあるのだけれど、時事問題を扱う報道番組という位置付けになっている。番組が終わったあとの楽屋でも、東野さんらが時事問題についての討議を熱心に続けており、好奇心やバイタリティが溢れてるなあと感心させられた(当方などは、自分のコーナーをこなし終えただけで、ぐったりである)。あと、野球コーナー担当の桧山進次郎さん、めっちゃ良い人(笑)。当方が楽屋で、前の日にドームで巨人VS中日戦を観戦した話を切り出すと、にこやかに素人談義に付き合ってくれた。

 さて、当方が必ずしも得意でないテーマでのテレビ出演に応じたのには、ちょっとした思惑があった。4月1日に静岡県のエコパスタジアムで、ジュビロ磐田と清水エスパルスのダービーマッチがあり、大阪からの帰りの新幹線で途中下車してダービーを現地観戦しちゃおうかなと思い立ったのである。4年振りの静岡ダービーなので、現地参戦しようかどうしようかなと迷っており、エコパは遠いし交通費もかかるので今回は見送りかという判断に傾いていたところ、大阪のテレビ出演の話が来たので、ならば帰途ついでにサッカーも、ということにしたのである。

 巨人VS中日戦の結果? 静岡ダービーの結末? それはちょっと黙秘させていただく(笑)。あと、こういう風に、サッカー観戦の交通費をケチって、何かの用事と組み合わせたりすると、自分の負うオブリゲーションが増すばかりで、全然得策でないということに、気付きつつある。

(2017年4月8日)

ロシア人の見たニッポン

 多忙につき、今年前半くらいまでは、本コーナーは手抜きになると思うけど、ご容赦を。

 以前、私どもロシアNIS貿易会の現地職員として活躍したロシア人のドミトリー・ヴォロンツォフさんが今般、日本を紹介する素晴らしいウェブサイトを立ち上げた。日本の47都道府県をすべて回ったらしく、それぞれの都道府県について、充実した紹介文を披露しておられる。なお、今のところテキストはロシア語だけ。

http://www.allnippon.ru

 そのヴォロンツォフさんが語っているこちらの「商談中、ベテラン通訳は何を考えているのか? 日露メンタリティの見えない壁」というお話も、非常に興味深く、こちらは日本語なので、ご一読をお勧めする。

 上掲のallnipponのサイトを眺めてみると、たとえば私の生まれ故郷である静岡県については、伊豆旅行記、プチャーチン来航、日本茶、カメの水族館、駿府公園、東海道旧道、大井川鐡道、三保の松原、浜松城、海鮮と、10本ものエッセイがフォトギャラリーとともにアップされている。日本の全都道府県を踏破することは、日本人でもなかなか難しいと思うけれど、各都道府県についてこれだけ詳細に調べて情報を発信しているというのは、まったく頭が下がる。ヴォロンツォフさんの好奇心と行動力と語学力が成せる業だろう。

 この「マンスリーエッセイ」のコーナーは、旅行記が中心になっており、ロシア・ウクライナ・ベラルーシの色んな地域への訪問の模様を記録してきた。しかし、3年ちょっと前のこちらの文章に書いたように、ロシアなどは地域の数が80以上に上るので、個人的にその半分も訪問できていない。それに比べれば、ウクライナの27地域は、あと数地域でコンプリートというところまで来ているが。まあ、いずれにしても、私の場合はロシア・ウクライナの地方を回るにしても、仕事で州都に1日だけお邪魔するようなパターンが多く、それ以外の中小都市にはなかなか行けないし、歴史や文化に触れる余裕もない。また、ロシアの地方都市なんかの場合には、日本のような名産品やご当地グルメみたいなものがないので、そもそも地方行脚の面白みには欠けるという面もある。まあ、それでも、ヴォロンツォフさんの足元にも及ばないにしても、私もなるべくロシアやウクライナの多くの地方を訪れて、その国の多様な姿を知って紹介するように努力したいものだと、改めて思った。

(2017年3月23日)

 PS:ところで、ふと思い出したが、ヴォロンツォフさんにとって初めての日本の地方訪問は、私と一緒に行った、新日鐵君津製鉄所の工場見学だったはずである。あれは確か1990年か1991年頃だったと思うが、当時ヴォロンツォフさんは当会と交流のあったソ連の景気研究所の若手研究員で、同研究所の代表団を私がアテンドして製鉄所を訪問した時に、初来日のヴォロンツォフさんもその一団に加わっていたのだ。ただし、ヴォロンツォフさんは、ある地方を訪問することの定義を、「その街に少なくとも一泊すること」としているらしいので、日帰りの君津出張はたぶん千葉県訪問にはカウントしていないだろう。

日本とロシアで対照的な財政規律

 私のブログを読んでいただいている方はお気付きかもしれないが、私は来たる日本の財政破綻に関する本を読むのが、趣味の一つのようになっている。以前ブログで、「財政破綻に備えた資産防衛を考える(読書の秋)」というエントリーを書いたことがあった。それから1年半ほどが経ち、この間もいくつかの本を読んでいる。いくつか列挙してみようかと。

 久保田博幸『聞け! 是清の警告 アベノミクスが学ぶべき「出口」の教訓』(すばる舎)。これについては、こちらで簡単にレビューを書いた。

 徳勝礼子『マイナス金利―ハイパー・インフレよりも怖い日本経済の末路』(東洋経済新報社)。これもブログで紹介済み。

 河村小百合『中央銀行は持ちこたえられるか ─忍び寄る「経済敗戦」の足音 』(集英社新書)。やはりこちらですでに紹介している。

 小黒一正『預金封鎖に備えよ ―マイナス金利の先にある危機』(朝日新聞社)。「あなたの預金が下ろせなくなる!ヘリマネ、財政ファイナンス、資産課税…元財務官僚が、最悪のシナリオを予測!「国家の収奪」に備える資産防衛法も解説」といった内容。ちょっと生々しかったので、これはブログには書かなかった。

 そしてこれが、今般読了したばかりの吉田繁治『財政破産からAI産業革命へ ―日本経済、これから10年のビッグ・シフト』(PHP研究所)。この本、一連の財政破綻本の中でも異彩を放っている。本書によれば、どんな形であれ、日本が数年以内に実質的な財政破綻に陥ることは不可避である。近いうちに日本がハードランディング型の財政破綻を起こす確率が70%、金融抑圧で日本経済が長期的に低迷する確率が30%であり、次世代にとって好ましいのは前者であると主張している点は、前掲の徳勝礼子『マイナス金利』と共通する。ただし、吉田氏は来たる日本の財政破綻も、人類の歴史上繰り返されてきた 8~10年に一度の調整の一つにすぎず、日本が被る打撃は第二次大戦による焼け野原のようなものではなく、せいぜいリーマンがもう一回来る程度のものだと主張している。当然円安にはなるが、140~150円くらいまでしか下がらないというのが吉田氏の見立てである。もう一つ、本書で特徴的なのは、日本が財政破綻した後、AI革命によって労働生産性が飛躍的に高まり、日本は人口が収縮しながらも再び経済成長軌道に乗り、それによって財政や社会保障の問題も将来的には解決するとしている点である。しかし、個人的には、本書の途中までのものすごく緻密な分析から一転して、AI革命によるプラスの効果についての展望は、かなり雑な印象を受けた。AIが飛躍的に発展を遂げて社会を一変させるというのはその通りかもしれないが、それがもたらす富の分配の問題を考慮すべきであり、よく言われるAIが多くの人々から仕事を奪うリスク、貧富の格差が加速度的に拡大するリスクなどについて、もっと透徹した考察が必要だろう。とまあ、最後のAIの部分については必ずしも納得が行かなかったが、それ以外については非常によく書かれており(ただし、既存のいくつかの文章を合体させて急いで出版したのか、繰り返しが多い)、日本財政がすでに「詰んでいる」ことを学べる格好の教材なので、お勧めしたい。

 さて、日本をはじめとする世界の主要国と、私の研究対象であるロシア・ウクライナ・ベラルーシにつき、政府の総債務の対GDP比を跡付けると、上の図表のようになる。日本の総債務は、直近ですでにGDPの250%を超えており、あのギリシャより大きいのはもちろん、世界の中でダントツに重い債務を抱えている。むろん、日本の場合は資産も大きいので純債務ベースで議論すべきだとか、日本は今のところ日本国内の貯蓄で財政赤字をファイナンスできているので心配無用といった議論もあるわけだが、ここでは単純に総債務額の対GDP比を取り上げている。

 ロシアは近年、政府債務の規模の問題が取り沙汰されることはほとんどなくなっており、2014年現在で対GDP比がわずか15.9%である。1998年に実質デフォルトに陥った後、2000年代に入って石油高で財政が潤い、政府債務の対GDP比は劇的に低下した。ロシア財政の場合は、政府債務の規模というよりは、石油・ガスに由来する収入への依存度が大きいこと、その結果歳入が年ごとに不安定なことが、問題の核心であろう。また、ロシア政府の債務は少なかったとしても、国営を含む大企業の借入が多いという問題も指摘できる。

 ウクライナも、デフォルト危機に直面した割には、政府債務の絶対額は、国際的に見てそれほど大きいわけではない。ウクライナの場合厄介なのは、政府債務がほぼ対外債務であること、債権者がヘッジファンドやロシア政府といった曲者揃いであること、政治・経済の混乱が広がったタイミングで為替が暴落したため、対外債務の支払負担が急増してしまったことだろう。

 ベラルーシの政府債務水準も、決して高いものではない。ベラルーシの場合むしろ問題は、国際的な孤立から、欧米の金融機関および国際金融機関からの借入ができず、経済発展のための資金を調達できなかった(結果的に債務もそれほど膨らんでいない)という点だろう。勢い、ロシア政府と、その息のかかったユーラシア安定基金くらいしか、頼るべき資金源がなくなる。

 このように、国ごとに抱えている問題は異なるものの、こと政府総債務の対GDP比という指標だけをとれば、日本の数字の悪さは世界でも突出しており、ロシアは特筆すべき低さである。ロシアは、実質デフォルトの前科こそあるものの、2000年以降のプーチン体制の下では、財務省や中央銀行の幹部は堅実なマクロエコノミストばかりであり、財政・金融政策はオーソドックスである。軍事費は聖域に近く、一見ばら撒きと思える政策も散見されるものの、全体としては財政の手綱が緩むことはない。1990年代にIMFに箸の上げ下げまで指図されたという苦い記憶が、良い薬になったのだろうか。それに対し、日本のように、なまじ「Japan as No.1」ともてはやされたり、バブル景気に酔った経験があると、「夢よもう一度」とばかりに、効果の怪しい矢やらバズーカやらを撃ち続けて、それが財政破綻を加速させると、そんなところだろうか。

 昨年来活発化している日ロ外交では、日本が経済力を武器としてロシアから領土問題での譲歩を迫るというのが、基本構図であろう。暗黙のうちに、日本がロシアよりも経済的に豊かであるということが前提となっている。しかし、4~5年後に日本がロシアに財政支援を仰ぐようなことになったとしても、私は驚かない。

(2017年2月20日)

地域研究の矜持

 このほど、名古屋大学出版会から、六鹿茂夫(編)『黒海地域の国際関係』が刊行された。私は、「第12章 輸送・商品・エネルギーの経済関係 ―ロシアとウクライナの角逐を中心に」を執筆している。よかったら、ぜひご参照いただければ幸いである。本書の構成を示しておくと、以下のとおり。

序 章(六鹿 茂夫)
  第Ⅰ部 黒海の地域性 —— 域内協力と域外関係
第1章 黒海国際関係の歴史的展開 —— 20世紀初頭まで(黛 秋津)
第2章 20世紀黒海地域の国際政治(六鹿 茂夫)
第3章 冷戦後の黒海国際政治(六鹿 茂夫)
第4章 黒海地域の経済協力と国際経済関係(上垣 彰)
  第Ⅱ部 域内国際関係
第5章 ロシアの政治変動と外交政策(横手 慎二)
第6章 トルコの政治変動と外交政策(間 寧)
第7章 ウクライナの政治変動と外交政策(末澤 恵美)
第8章 南コーカサスの政治変動と外交政策(廣瀬 陽子)
第9章 バルカンの政治変動と外交政策(月村 太郎)
  第Ⅲ部 黒海地域の主要課題
第10章 長期化する紛争と非承認国家問題(廣瀬 陽子)
第11章 宗教とトランスナショナリズム —— レニンゴル、沿ドニエストル、クリミアに共通するもの(松里 公孝)
第12章 輸送・商品・エネルギーの経済関係 —— ロシアとウクライナの角逐を中心に(服部 倫卓)
第13章 企業のトランスナショナリズム —— ロシアの天然ガスとウクライナ(安達 祐子)
終 章(上垣 彰)

 私の担当した第12章は、個人的な研究対象国であるロシアとウクライナを中心に、黒海海域における海運・港湾の役割と、それによって支えられるコモディティ輸出に着目し、その実相に迫ろうとしたものである。過去10年くらいの私のいくつかの研究テーマを総合した、一つの到達点だと理解していただければ幸いである。

 ところで、今回の研究プロジェクトにおいて、私は「経済面から黒海を語る」というお題をいただいたわけだが、黒海地域の経済を、どのような着眼点で分析し論じるべきかというのは、容易ならざる問題である。そもそも、黒海地域の範囲をどのように設定するかが、自明でない。確かに、黒海経済協力機構(BSEC)加盟諸国を対象とするという考え方はあるだろう。たとえば、私は2013年に東京で開催された「第4回日・黒海地域対話:日・黒海地域協力の発展に向けて」に出席する機会があったが、同会議においても、「BSEC諸国には、経済開発、汚職の克服など、様々な課題があるので、それに鋭意取り組んでいこう」とか、「日本はそれらの問題の解決に寄与できる」といった議論が交わされた。しかし、そうした課題に直面しているのは、何もBSEC諸国だけではなく、それに加盟していないベラルーシや中央アジア諸国といった近隣諸国も同様である。残念ながら、BSECという機構が、そうした課題の解決に多国間で取り組んで成果を挙げた実績はないし、今後そのような可能性が生じるとも考えにくい。そこで私は今回の論考で、黒海諸国=BSEC加盟国とする広義の定義はとらず、実際に黒海という海に接している国々を基本的に分析の対象に絞ることにした。

 ただし、このように議論を「実際に黒海に接している国」に限定したとしても、依然として焦点は絞り切れていない。黒海に面する国の中でも、ロシアは地理的に広大な国であり、極東のカムチャツカ半島あたりまで含めて、国全体を黒海沿岸国と呼んでしまっていいのだろうかという疑問を禁じえない。たとえば、ウクライナの内陸地域であるハルキウ州のメーカーが、ロシアのモスクワの取引先に機械を輸出するようなケースでは、黒海を通ってモノが動くわけではなく、黒海という地域性とは何のかかわりもない取引である。こうしたことから、本稿で私は、ロシアに関して可能な限り黒海という地域性にフォーカスする形で議論を試みた。

 国レベルというよりも、黒海沿岸地域に着目しようとすると、統計データが容易に得られず、分析作業にものすごく苦労する。今回私が試みた分析手法は我流であり、洗練されているとは言いがたいかもしれない。しかし、「経済面から黒海を語る」という課題に真摯に取り組み、この地域の実相を経済面からあぶり出そうともがき苦しんだ結果が、この論考である。地域研究者としての矜持を示したつもりだ。

(2017年1月20日)