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ロシア・ウクライナ・ベラルーシ探訪 |
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先日、朝日新聞に、「学者たちの『2.24』『研究者である前に人間なんだ』 ウクライナ侵攻が与えた衝撃と葛藤」という記事が掲載された。馴染みのある同僚の皆さんが、昨年の2月24日をどう迎え、何を思いどう行動したかを語っている。
かくいうこの私は、朝日のこの企画を含め、「2.24をどう迎えたか」ということを、特に誰からも訊かれていない。訊かれたところで、別に感動秘話があるわけではなく、むしろ相当にマヌケな迎え方だった。今回、恥を覚悟で、一部始終をご披露する。
とにかく、問題は、こんな酷い事態になるということを、私自身が予想できていなかったということに尽きる。時計の針を巻き戻してみると、2022年2月21日(月)、プーチンが自称ドネツクおよびルガンスク人民共和国の国家承認を強行し、翌22日(火)にはTBSラジオに出演してコメントしたりした。しかし、その時点でも、「よもやウクライナ全土への軍事侵攻などは…」と、慎重な見方に終始していた。
さらに、翌23日(水)は、天皇誕生日で祝日。私はかねてからの予定どおり、新幹線で名古屋に向かった。ちょっとした野暮用だったとだけ申し上げておこう(笑)。
初めての豊田スタジアムでのサッカー観戦を終え、その日は豊田市内のホテルで一泊。せっかくなので、翌24日(木)は有給をとり、豊田市近辺を観光して帰ろうという算段である。
事前に情報を収集したところ、「トヨタ会館」というところが面白いのかな?と思ったのだけど、当日確認してみると、「トヨタ博物館」というところの方がより本格的だと分かったので、愛知環状鉄道とモノレールを乗り継いで、見応え満点のトヨタ博物館を見学した。
確か、トヨタ博物館を見学している最中に、メディアから電話がかかってきて、全面軍事侵攻の事実を知らされたのだと記憶する。トヨタ博物館のあと私は、途中で見付けた愛知県陶磁美術館にも出向いたのだが、そこでもメディアから立て続けに取材電話を受けた。半分が美術館の見学、半分が取材対応という感じの変な時間だった。
さすがに、気が気ではなくなり、早々に帰宅することにした。ただ、翌25日(金)も有給をとっており、東京ではなく、実家のある静岡に向かった。愛知環状鉄道、名鉄、新幹線、東海道線、レンタサイクルを乗り継いで、ようやく家に辿り着いた。その間も、電話でいくつかのマスコミ対応をした。
当時私は、ロシアNIS貿易会・ロシアNIS経済研究所の所長として、会員企業向けの情報発信の責任者だった。25日(金)に発行するニュースレター『ロシアNIS経済速報』の内容を急遽差し替え、私が「ロシアのウクライナ軍事侵略という事態に寄せて」と題する論考を突貫工事で執筆し、掲載した。「ロシア研究者たちは、軍事侵略という事態に、無責任な沈黙を貫いている」などと的外れな批判をする向きがあるが、少なくとも私は2.24の翌日には、これまでの自分の認識の甘さを反省し、プーチン・ロシアを断罪する文章を発表したつもりである。
ところで、24日(木)、私はなぜ、東京ではなく静岡に向かったのか? それは、その週末の26日(土)にこれまた野暮用があったからである(笑)。こればかりは常に別腹なので、ご容赦いただきたい。
エコパスタジアムでの試合が終わり、その日のうちに、新幹線で帰京。翌27日(日)早朝のテレビ番組を皮切りに、怒涛のメディア対応が始まる。そんな中、28日(月)に、北海道大学スラブ・ユーラシア研究センターの所長がわざわざ東京まで訪ねてくださり、「ぜひセンターに来てほしい」と突然のラブコールを受けたのだった(したがって本件はロシア・ウクライナ情勢とは別に、しばらく前から水面下で人選を進めていただいていたことになる)。というわけで、自分の研究対象国の激動と、人生の一大転機が、同時進行することになったのである。
(2023年3月28日)
宮𦚰昇(編著)『ウクライナ侵攻はなぜ起きたのか:国際政治学の視点から』(早稲田大学出版部、2023年)が、このほど発行された。私自身は執筆に参加しているわけではないのだが、光栄なことに、この本の帯に推薦文を寄せることとなった。
これが私にとって、嬉し恥ずかし帯デビューとなった。大した業績を挙げているわけでもなく、ネームバリューもないのに、こうして帯を書くことになるとは、何だか不思議な気分である。
本来であれば、売れっ子の小泉悠さんあたりが帯を書けば、最大の宣伝効果が期待できるところだろう。ただ、本書には小泉さん自身が参加しているので、さすがにそうはならなかったか。
実際、出版業界ではもはや、小泉悠さんの奪い合いだろう。下に見るのは、最近見た小泉さんによる帯の一例。
ところで、小泉悠さんと言えば、『プーチンの国家戦略 ―岐路に立つ「強国」ロシア』(東京堂出版、2016年)が出た時に、私はブログで次のようにコメントした。
この本の帯には佐藤優氏の推薦文が書かれており、佐藤氏の名前の方が著者の小泉さんより大きく目立つようになっている(笑)。以前、ロック評論家・渋谷陽一の本の帯に桑田佳祐が推薦文を寄せ、そちらの方が目立つようになっていたので、見た人が「桑田の本」と勘違いして手に取るという、そんなことがあったのを思い出した。もう小泉さんは誰かの名前を借りて売らなくても大丈夫じゃないでしょうか。
実際、その後小泉さんは佐藤さんに劣らぬ論壇のスターになり、今や他の人の本を宣伝してあげる立場である。しかも、最近、佐藤さんが小泉さんのことを批判する論陣を張っていたりして、今となっては7年前の帯が虚しく響く。帯というのも、慎重に人選しないと、かえって黒歴史になってしまうこともある。
もう一つ、帯に関して最近引っかかったことがあった。下に見る『「半島」の地政学』という新刊で、著者の内藤博文さんよりもはるかに目立つ形で、廣瀬陽子さんの名前と顔をあしらった帯が添えられているのだ。これまた売れっ子の廣瀬さんを起用して販売拡大を図ろうという気持ちは分からないではないが、内藤さんや廣瀬さんにとっても不本意なのではないか。これはさすがに疑問に思う。
その点、佐藤優さんはやはり堂々としたものだ。自分監修の本を、セルフ帯で飾っている。さすが知の巨人は自信にみなぎっている。
ところで、前述の「渋谷陽一の本の帯に桑田佳祐が推薦文を寄せた」というのも、一応載せておこうか。帯の歴史を調べたわけではないが、このあたりから「ビッグネームを帯に登場させて、あたかもそのビッグネームの本であるかのように錯覚させて売る」という、あまり感心しないビジネスモデルが生まれ始めたのかもしれない。まあ、渋松は対談の中でそれをネタにしていたし、娯楽本なので愛嬌として許せるが、教養・学術書では自制してしかるべきだろう。
考えてみれば、本に帯を付けて売るというのは、日本独自の文化ではないかと思う。私の趣味の領域では、かつてのレコード、今のCDにも、日本盤には帯が添えられる。しかも、有名な話だが、日本の帯付きレコードは、我が国のみならず、海外でも珍重されており、帯が残っているのといないのとで、中古品の取引価格が全然違うのだ。たとえば、こちらの記事によると、帯付きだと買い取り価格が3~5倍に跳ね上がるとされている。
まあ、本の場合は、古本は二束三文だし、帯が残っている・残っていないで、そんなに価値が変わるとは思えないが。いずれにしても、日本の書籍・レコードにおける帯という存在、非常に興味深い文化である。
(2023年2月28日)
第3回目となる「大学入学共通テスト」が、2023年1月14日(土)・15日(日)に実施された。当然のことながら、我が北大も試験会場となり、私も初日の試験監督を務めた。
それにしても、つい1年前には、自分が共通テストの試験官を務めていることなど、まったく想像できなかった。むろん、札幌に移住するとも思っていなかった。ついでに言えば、ロシアとウクライナがガチ戦争を始めるとも思っていなかったが、それは単に分析能力がなまくらなだけか。
試験監督業務は緊張の連続で、疲労困憊した。失敗したらえらいことだという不安しかなかった。ちなみに、「私が試験監督やります」というのを、事前に公表するのもよくないらしく、本件についてずっと伏せており、そのこと自体かなりのストレスだった。
私も、上智や東大で非常勤を務めた時に、自分の授業の試験監督だったら、今までもやったことがある。しかし、全国共通で段取りが事細かに決められており、万が一にでも手順にミスがあった場合のリスクの大きさが、共通テストでは比べ物にならない。
まあ、私もずぼらな人間だし、ミスをして自分が恥をかいたり怒られたりする分には仕方がない。しかし、大学入試には若者たちの将来がかかっているわけで、何としてでも試験を無事に終えて、彼らに持てる力を発揮させてあげたいという、その一心だった。
緊張を強いられる共通テスト監督業務の中でも、最難関は、英語のリスニングである。現在の共通テストでは、英語のリスニングがほぼ必修のようになっており、しかもICプレーヤーを各受験生に1台ずつ配って、本人にそれを操作させる形でリスニングの試験を行うのだ。受験生は事前にシミュレーションを散々しているはずだが、当方は事前にオンラインの研修を受けただけであり、実際にICプレーヤーを見るのも当日が初めて、不具合が起きた時の対処ができるだろうかという恐怖が強かった。しかも、リスニングの試験だけは、何か問題が起きた時には、対象となる受験生が居残り、そのまま再開試験というのを受けることになっていて、そうなると監督官も残業確定である(笑)。これはさすがに緊張した。
ところで、試験監督中、手持ち無沙汰なので、当方も試験問題をちょっと拝見してみた。正直に感想を言うと、英語の試験内容など、すごく良い問題だなと感じた。我々が受験生だった頃には、英語は単語や構文を暗記するという要素が大きかったが、今の共通テストの英語問題は、「基礎的な英語をきちんと理解できているか」を見極めるような内容になっていた。昔は、so thatといった構文を覚えていれば、最低限の得点は拾えたものだが、今のあの問題では、ホントにできない子はまったく点が伸びないんじゃないかな(選択式だから確率的にある程度点はとれるにしても)。
そもそも、英語の試験に、リスニングが加わったのが、試験官泣かせではあるが、画期的である。私は40年近く前に東京外語を受験し、さすがに外語の入試では当時からリスニングの試験があったが、他ではリスニングの試験があるところは全国的に皆無に近かったのではないか。むろん、当時はICプレーヤーなどないので、英語の朗読は校内放送かテープレコーダーだったはずである。
そんなこんなで、恐怖のリスニングも含め、どうにか試験監督の役目を無事果たし、安堵した次第である。考えてみれば、いま現在、私が共通テストを受けたら、間違いなく北大入学に必要な点はとれないはずであり、その人間が偉そうに試験官をやっているのも、妙な話だ。
冬の北海道の入試では、当日の交通の乱れも不安要因であるが、幸いにも1月14日(土)・15日(日)は目立った降雪もなく、その点は助かった。ただ、キャンパス内が全面的にアイスバーンと化し、受験生が転んだりしないかと、気を揉んだりもした。とにかく、若者たちに悔いなく全力を出し切ってほしいという親心に揺れた2日間だった。
(2023年1月22日)