ロシア・ウクライナ・ベラルーシ探訪 |
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今年最後のマンスリーエッセイだけど、私の場合は年末年始も普段通り(というか普段以上に)仕事をさせていただいていて、あまり時間もないので、簡単なよもやま話でご容赦いただく。コロナ禍の2020年の締め括りながら、それとは関係ないちょっとした話題だ。
私のブログでは、2020年の初頭から、「60年前のBillboard Hot 100」という企画を始めた。それを開始するにあたって、最初の回で、以下のような口上を述べている。
個人的な道楽の話で恐縮だが、以前、1960年代のアメリカのヒットチャートを10年分全部コンパイルした、『Billboard Hot Charts 100: The Sixties』という書籍を購入した。そこで、当ブログでこれから毎週、60年前のビルボードのヒットチャートを掲載する企画をやってみようかと思う。本当は、2010年代に、「50年前のBillboard Hot 100」としてやった方がよかったかもしれないが、当時はそういう発想がなかったので、2020年代にやることにした。ロシア圏とは何の関係もない個人的な趣味の話題なので、別ブログを立ち上げようかとも思ったのだが、面倒なので、同一ブログでやらせていただく。ご興味のない方は、スルーしていただければと思う。
というわけで、研究分野とは関係のない個人的な趣味のオールディーズのコーナーではあるのだけれど、当時のアメリカの世相は取り入れようと、最初から思っていた。たとえば、今から60年前の1960年のアメリカと言えば、大統領選挙でJ.F.ケネディが勝った年なので、「その時にアメリカで1位だった曲は何か?」といったことを盛り込もうとは思っていたわけである。ネタ元としては、たとえば、ウィキペディアには「1960年」という記事があり、何月何日に何が起きたかといったことがまとめられていて、アメリカの主な出来事はそれで拾えるので、そんな形でやっている。
しかし、「60年前のBillboard Hot 100」をある程度まで続けてみて、やはり私の研究分野である旧ソ連圏とまったく関係ないのは味気ないと感じるようになり、秋頃になって、新たな工夫を施すようになった。記事の末尾に、「その頃ソ連では」というクロニクルを追加するようになったのである。たとえば、11月21日の回では、「11月:モスクワで先駆的なサミズダート(地下出版)の一つ「ブーメラン」が創刊される(編集長:V.オシポフ)。」、「11月27日:ウクライナ・ドニプロペトロフスク(現ドニプロ)市でYu.ティモシェンコ誕生。」と、60年前のソ連の2つの出来事を記している。これにより、当時の時代背景をより立体的・多面的に把握し(科研費の企画書かっ!?)、アメリカン・オールディーズに必ずしも関心のない旧ソ連クラスタの皆さんにも関心を持ってもらえるような工夫をしたつもりである。
ところが、60年前のソ連の出来事をクロニクルとして綴る上で、ちょっと困ったことがあった。ネットで利用できるような良いネタ元が、なかなか見付からなかったのである。たとえば、「1960年にソ連で起きた大きな出来事」という程度ならいくらでも資料があるが、なにせ「60年前のBillboard Hot 100」は週刊の企画なので、そこまでソ連の出来事を詳しく記録した資料というのは、ネットではすぐには見付からなかった。
ちなみに、情報源を探す上で、私がイメージしていたのは、上に見るようなベラルーシの歴史年表である。私がベラルーシを研究する上で、ずいぶん助けられた本だ。これを見ると、たとえば、「1976年1月7日:エリスク町で地誌博物館が開館。」とか、「1977年7月29日:ベラルーシ心臓病研究所が開設される(ミンスク市)。」といったマニアックな日付が出ており、こういう年表の全ソ連版があれば毎週のネタには困らないだろうと思ったわけである。ところが、ネットでは、「これぞ」という網羅的かつ詳細なソ連年表は見付からなかった。
ただ、一生懸命探した結果、これならある程度は使えるかなという情報源にはいくつか辿り着いたので、そのサイトを紹介してみたい。まず、私が見付けた限り、最も有用だったのが、「Словари и энциклопедии на Академике」の中にある年表ページである。諸外国の出来事も出ているが、ソ連の動きが詳しいので、助かる。また、この年に生まれた人・亡くなった人も出ているので、それもネタとして重宝する。上述のティモシェンコ生誕のくだりも、ここから拾ったものである。
もう一つ、かなり網羅的で助かるのが、「20世紀の国際関係」というサイトであり、ソ連外交の歩みが克明に記されていて、毎週一ネタは拾えそうである。1960年代は冷戦期であり、アメリカのポップカルチャーの背景には世界の半分を支配する共産主義体制があったわけで、国際関係の動きがこのサイトでフォローできるのは大助かりだ。
あとは、まあまあ詳しいロシア/ソ連の歴史年表をまとめたこちら、ロシア産業・商業省がロシア/ソ連の工業の歴史をまとめたこちら、フルシチョフ時代の主な出来事をまとめたこちらなどが多少役に立つけど、決め手には欠けるかな。まあ、そんなこんなで、「60年前のBillboard Hot 100」、来年も続けるつもりなので、引き続きよろしく。
(2020年12月30日)
宣伝をさせていただくと、このほど刊行された福田宏・後藤絵美(編)『グローバル関係学 第5巻 「みえない関係性」をみせる』(岩波書店、2020年)で、「サッカーを通じて見るロシアの国家と社会 ―2018年のワールドカップを契機として」という論考を発表した。今年2月のこのコーナーで「バラエティ豊かな締切たち」というエッセイを書き、その時に本件につき予告していたが、それがようやく日の目を見たわけである。
思えば、私が「ロシアとサッカー」というテーマを追い始めたのは、ちょうど10年前のことだった。国際サッカー連盟(FIFA)は2010年12月2日、2018年のFIFAワールドカップ(W杯)をロシアで開催することを決定した。それを受け私は早速、所属団体のニュースレターで、以下のようなレポートを発表している。
想像するに、イタリアのことを研究している人というのは、十中八九、イタリアのことが大好きなのだと思う。しかし、私は別にロシアのことが好きでロシアを研究しているわけではない。むしろ、国際平和を考察する上で、ロシアという「敵」のことを知らなければならないという発想で、ロシア研究の道に入った。
これで、たとえばロシア文学が好きだとか、ロシアのロックにはまっていますとか、何か自分の趣味とロシア研究がオーバーラップすれば、自ずと研究にも力が入り深みも出ると思うのだが、残念ながら私はロシアの文化についてこれといった関心の対象を見出せないでいる。個人的に、ロシアの本屋に行くのは好きだが、それは「ロシアを研究する上での有益な資料が見付からないかな」という関心にもとづくものであり、いわゆる個人の趣味というのとは違うだろう。
というわけで、私にとってロシアは、ただひたすら仕事の上での研究対象にすぎない。もちろん、30年もこの仕事をしているので、ロシアに対してある種の愛着のようなものは持つに至っているが、「ロシア大好き!」などという境地からは、遠いところにいる。
そんな、非常に屈折したロシア研究者の私に、10年前に届いたのが、ロシアでワールドカップ開催というニュースだったのである。元々サッカー好きだった私にとっては、初めて自分の研究と趣味が重なる好機が訪れたわけである。サッカーというプリズムを通じて、ロシアの国家・国際関係・社会・経済を考察してみようと思い立った。そして、ワールドカップのある2018年あたりに、ロシアのサッカー事情に関する書籍でも上梓して、あわよくば一山当てたい(笑)などと考えるようになったのである。
もう一つ、私のサッカー・モードを高めたのは、これはロシアW杯よりも先に決まっていたものだが、ウクライナとポーランドの共催による2012年のユーロ(欧州選手権)だった。ウクライナも私の主要研究対象国の一つだが、ロシアよりもずっとサッカー熱が高く、しかもサッカーと政治・経済事情がかなりリンクしている。我ながら、ウクライナ研究における面白い切り口を見付けたという手応えがあった。
実際、2014年にウクライナで政変が起きた時、サッカーという視点から見た考察を披露できたのは、差別化ポイントになって、よかったのではないかと思っている。このテーマに関しては、『地域研究』(2015年11月30日、Vol.16, No.1)に「ウクライナの国民形成とサッカー」という論考を寄稿し、自分なりに決着を付けたつもりである。
2010年代の前半には、ロシアやウクライナに出張に行くと、夜はサッカー観戦に出かけたりしたものである。普通の人はロシアに出張すると、夜はバレエを観たり美味いものを食ったりするのだろうが、私は寒い中スニッカーズをかじりながらサッカーを観ていた。2015年には自分が編集している『ロシアNIS調査月報』で「蹴球よもやま話」というコーナーを立ち上げ、ロシア・NIS諸国のサッカー・ネタを連載したりもした。
しかし、2018年のロシアW杯に向けて、ロシアのサッカー事情に関する本を上梓し、できれば一山当てたい(笑)という私の思惑は、狂っていく。誤算だったのは、北大の大学院で博士論文を完成させ2017年3月までに博士号を取得するというミッションが、思いのほか難航し、結局同年12月までずれ込んでしまったことである。その時点でもうW杯本番まで半年しかなく、大会に向け本を書き上げることなどまったく不可能になってしまった。まあ、これは完全に自分の不手際である。
もう一つ、計算違いだったのは、日本の皆さんはロシアW杯という大会には関心を持っても、ホスト国ロシアのことや、そのサッカー事情に関しては、必ずしも興味を持っていただけないという点だった。当時、問い合わせなど受けはしたけれど、情報のニーズがあるのは、現地の交通・宿泊事情やロジのことばかりで、翻ってそういう事柄はW杯期間中は事情が一変するので、結局私の知見はあまり日本の皆さんのお役には立たなかった。W杯の前後に、ウェブメディアで多少コラムを発表する機会などはあったものの、一山当てる(笑)には程遠く、落穂拾いの域を出なかったのである。
ただ、思わぬところから活路が開かれた。きっかけは、2017年10月15日に成城大学で開催されたワークショップ「サッカーとグローバル関係学」において、「ロシアはワールドカップのレガシーを活かせるか?」と題する報告をお引き受けしたことだった。その後、このワークショップの元となっていた科研費プロジェクトの集大成の出版企画として、今般岩波書店から「グローバル関係学」と題する叢書が刊行され、その『第5巻 「みえない関係性」をみせる』において、今回ご紹介申し上げている拙稿「サッカーを通じて見るロシアの国家と社会 ―2018年のワールドカップを契機として」が晴れて所収されたというわけである。
考えてみれば、「W杯前にロシアのサッカー事情をテーマに単著を」などと望んでも、1冊の本になるほどのネタがあったかは微妙だし、そもそも出版に応じてくれる版元があったかも分からない。岩波から出た格調高き叢書の一章として載録していただいたことの方が、結果的には幸いだったのだろう。非常に有難い機会をいただいたものだ。
ロシアW杯開催決定からちょうど10年。そのタイミングで、私のロシア・サッカー事情研究の到達点を示した論考が、世に出ることとなった。私としては、これでこのテーマは卒業かなという心境でいる。しかし、こればっかりは、分からない。自分は卒業したつもりでも、出た本を見た方が、そのテーマについての寄稿を打診してくれたりすることがよくあるからだ。日本がまたW杯でロシアと同組になったりしたら、特需が発生することもあるかな。
(2020年11月22日)
ジブリ作品というか宮崎駿監督作品の中で何が一番好きかというのはよくある談義だが、ジブリでも映画でもないものの、個人的にはテレビアニメの「未来少年コナン」がかなり上位に来る。宮崎駿氏の第一回監督作品という位置付けになるらしい。現在、同作がデジタルリマスターされ、毎週日曜深夜にNHKで放送されているところだ。放送はあと1回、第26話の「大団円」を残すのみとなった。
なぜ個人的にこの作品が好きなのかというのを自己分析すると、全26回にも上るシリーズを通じて、各キャラクターに深い愛着を抱くように出来ているからではないかと思う。人間だけでなく、子豚にまで愛着を覚えてしまう。
そして、ここが重要なポイントなのだが、最初は敵対したりいがみあったりしていたキャラクターも、最終的には一つの大義に向かって収斂していくというところが素晴らしい。結局、この物語における「悪」は、レプカというインダストリアの行政局長(および少数の取り巻き)だけなのである。
そして、ごく個人的なことながら、未来少年コナンがリマスター再放送されていたこの半年は、ベラルーシ情勢の混迷と時期的に重なっていたので、どうしても両者を重ね合わせて見てしまうところがあった。コナンの第22話「救出」で、地下から脱出した人々が反乱を起こす様子などには、感動を覚えずにはいられなかった。
さらに、第19話「大津波」で、インダストリアの兵隊たちが、マスク姿の時は傍若無人に振る舞っていても、マスクをはがされると途端に人間としての弱さをさらけ出す様子などは、今のベラルーシに通じる見事な描写だと感じだ。
ところで、先日、こんなことがあった。日本のAmazonでベラルーシのサヴシキン・プロドゥクトという会社のシロークというお菓子を買えることが分かったので(下の画像参照)、それをSNSのベラルーシ・コミュニティに投稿したのである。そしたら、非常にナショナリスティックなベラルーシ人が、サヴシキンはルカシェンコ政権とよろしくやって儲けてきた会社である、しかもラベルにベラルーシ語表記をしない非国民企業なのだと、食ってかかってきたのだ。
こちらの記事に見るように、ベラルーシの消費者保護法ではラベル表示をロシア語かベラルーシ語のどちらかですればいいことになっており、ロシア等のユーラシア市場全域に流通させるためにはロシア語が必須なので、結果的にロシア語を選択する企業が多い。そのこと自体の是非を問う議論はあってもいいが、今現在法律の枠内でロシア語表示にしている企業を国賊扱いするのはどうだろうか。企業が追求すべきは、法律順守をした上で利益を最大化することであり、サヴシキンはそれをしているだけである。「民族語の普及」などという役割を、民間企業は担っていないのである。また、サヴシキンはベラルーシで最も成功している民間企業であり、その存在の大きさゆえに、これまでルカシェンコ政権と歩調を合わせざるをえない場面もあっただろう。もしもそれを否定するとしたら、そもそもルカシェンコ体制下で民間企業など存立できなくなってしまう。
今ベラルーシ国民に求められているのは、小異を捨てて、「脱ルカシェンコ」という大同に就くことのはずである。コナンで描かれているとおり、たとえ最初はゴリゴリのインダストリア派であっても、自らの愚かさに気付き、態度を改めさえすれば、それでいいのだ。一番良くないのは、たとえば「ベラルーシ語でなければ愛国的でない」などといった凝り固まった態度だろう。むしろ、そういうエキセントリックな立場が、1994年のルカシェンコの大反動を招いたということを想起すべきだ。
ところで、第25話「インダストリアの最期」で、主人公のコナンは、悪の親玉であるレプカにすら、救いの手を差し伸べる。にもかかわらず、レプカは最後まで醜い本性を晒し続け、結局、海の藻屑と消えるのである。果たして、ルカシェンコはどのような「往生際」を見せるのだろうか。とくと拝見することにしたい。
(2020年10月26日)
最近の個人的な心境として、「今こそ、ワイのもってるベラルーシの知見を、余すところなくマネタイズする時やで~」などと思っているわけである(笑。なお、がめついことは関西弁で言うようにしている)。
それと同時に、いつもだったら躊躇するようなあまりにもマニアックなベラルーシ談義も、今だったら聞いてもらえるかななどと考え、昔作ったコンテンツをリサイクルして小出しにしたりもしているわけである。今回のマンスリーエッセイは、まさにそうしたパターンである。
皆様ご存知のとおり、ヨーロッパ等々と同じように、旧ソ連圏でも、街のすべての通りに名前が付いている(以下便宜的に、ウーリッツァ=通りだけでなく、プロスペクト=大通り、ペレウーロク=小路、プローシャジ=広場などもひっくるめて通りと総称させていただく)。人物名が付けられる場合がほとんどだが、独立大通りとか自由広場とか、概念が付く場合もある。
私は、主著『不思議の国ベラルーシ』の中で、「ベラルーシに偉人はいるか」という談義を試みたことがある。その関連で以前から、ベラルーシでは通りにどんな人物の名前が冠せられているのかということにも注意を払ってきた。そして、あるきっかけがあり、2000年代の前半に、ベラルーシの主要9都市を対象に、すべての通りの名前を集計し、ランキングを作成したことがあった。以下でそれをお目にかけたいと思う。
2000年代の前半にはまだネット情報なども充実していなかったので、私が街の地図を持っていたベラルーシの9都市を対象に、たとえば「レーニン」の名を冠した通りはいくつの都市に存在しているかということを調べてみたわけである。当時は今とは違って都市の地図もそんなに豊富ではなく、私が持っていたのはスルツク、ポロツク、バラノヴィチ、グロドノ、ブレスト、ボブルィスク、ヴィテプスク、モギリョフ、ミンスクだけだった(ゴメリはなかったんだなあ)。その結果、以下のようなランキングが出来上がった。
なお、注意していただきたいのは、あくまでも2000年代前半の状況ということである。通りの名前というのは、時々変更されたりする。たとえば、嘆かわしいことに、マルク・シャガールを生み出したヴィテプスクの街に、かつてはシャガール通りが存在していなかったのである。しかし、こちらのサイトによれば、ようやく2016年に誕生したということであり、結構なことだと思う。
ただ、大まかな傾向は、今でも変わっていないのではないかと推察する。すなわち、ベラルーシの通りには、ロシア、ソ連、社会主義・共産主義に関連した名前が付けられていることが、非常に多い。ウクライナではユーロマイダン革命後にそうした地名は一掃されたが、ベラルーシは今でも旧態依然とした状態のままのはずだ。
表では、人物の中で、多少なりともベラルーシに関係していた人物を、ピンク色で示した。もちろんミツキェヴィチやコシチューシコなどは一般的にはポーランドの偉人と考えられているわけだが、現ベラルーシ地域と深くかかわっていた人物は、色を付けることにした。
「ベラルーシ史を代表する偉人は誰か?」と問えば、F.スコリナやエフロシニヤ・ポロツカヤの名が筆頭に挙がるはずだが、私がこの調査を行った2000年代前半の時点ではその通りの名はごく少なかった。エフロシニヤに至っては、ゆかりの地であるポロツク1箇所しかないという、寂しい状態だった。
もう一つ、私が調べて意外だったのは、古き良きソビエト・ベラルーシ時代を象徴するピョートル・マシェロフ共産党第一書記の名を冠した通りが、2箇所しか確認できなかったことだ。1つは有名なミンスクの大通りで、もう1つはバラノヴィチでかろうじて見付かった。当時はまだ、故マシェロフ氏を慕う国民が少なくなく、ルカシェンコはそれが気に食わなかった、などとも言われていた。
なお、私が調べたこの時点では、ベラルーシゆかりの人物であり、通りの名前になってもいいのではと思える人物のうち、上述のシャガールに加え、宗教改革者のシモン・ブドヌィ、リトアニア大公国のヴィータウタス大公、ゴメリ州出身でソ連外相を務めたグロムイコ氏などは、一切見当たらなかった。
2005年、ルカシェンコはミンスクを代表する2つの大通りの改名を強行し、物議を醸した。1つは、上述のマシェロフ大通り(ちなみにルカシェンコの通勤路でもある)を、「勝利者大通り」に変えてしまったこと。もう1つは、スコリナ大通りを、「独立大通り」に変更したことである。マシェロフ大通りは別の幹線道路に移され、スコリナに関してはかなり辺鄙な場所に新たにスコリナ通りが設けられた。とにかく、ルカシェンコとしては自分以上に国民から敬愛されるような人物がいる状態が許せず、ミンスクを代表する2つの大通りを人名ではなく自らのイデオロギーを象徴するワードに変えてしまったというところだろう。
(2020年9月20日)
この8月は、個人的にどうしてもやらなければならないことがあったのだが、ベラルーシ大統領選で完全に吹き飛んだ。しかも、8月ももう終わりというのに、いまだに決着がつかず、情勢はますます混沌としてきている。日本人のベラルーシ仲間の間でも、「これいつまで続くの?」、「もう体がもたない」といった声が上がり始めた。
ところで、ベラルーシ情勢をウォッチしていて、ごく私的なことながら、気になっている点がある。これはすでにツイッターでつぶやいたことなのだが、改めてマンスリーエッセイでも述べておきたい。
私はそもそも知り合いが少ないタイプだが、その少ないベラルーシ人の知り合いの中で、一人だけ確信的なルカシェンコ支持者がいた。私にロシア語を教えてくれたスヴェトラーナ先生だ(民族的にはロシア人)。おそらく今は70歳くらいではないかと思うのだが、お元気なのか、今でもルカシェンコを支持しているのか、とても気になる。
もちろん、今やきわめて機微な問題になってしまったので、「まだルカシェンコ支持者ですか?」などとぶしつけなことを実際に訊いてみようなどとは思わない。でも、安否だけでも知りたい。
なにせ、ロシア語のレッスンを受けたのは20年も前のことなので、今となっては、連絡先も分からない。名 + 父称は呼びかけに使うので憶えているが、姓はもともと良く知らない。
ダメもとで、Беларусь + Светлана + Георгиевнаで検索してみた。もしかしたら、SNSのアカウントでもあるかなと思って。そしたら、何と、大統領選で実質的な野党統一候補だった、スヴェトラーナ・チハノフスカヤがヒットした。そのフルネームは、Светлана Георгиевна Тихановская。そうか、先生はチハ氏と同じ名 + 父称だったのか。ますます、「先生は今頃、どんなことを思っているだろうなあ」と、現在の心境が知りたくなってきた。
私が教えていただいていた時期に、まだ成人もしていない先生の娘さんが病気で亡くなったことは、とても辛い出来事だった。思えば、その娘さんが生きていれば、ちょうど今のチハノフスカヤと同じくらいの年齢だっただろうか(チハノフスカヤは現在37歳)。
スヴェトラーナ先生、ルカシェンコを支持し続けていても、いなくても、どちらでもいいから、お元気でいてほしい。
(2020年8月29日)
だいぶ忙しいので、簡単な小ネタでご容赦いただく。久し振りにサッカーのロシア・プレミアリーグのことなんか取り上げてみたい。
ロシア・プレミアリーグは、7月22日に2019/2020シーズンの全日程が終了した。また、ロシア・カップの決勝も7月25日に行われ、これでロシア・サッカーの2019/2020シーズンが全面的に終了した。プレミアの優勝は、随分前に、ゼニト・サンクトペテルブルグが決めていた。2019/2020シーズンは、ヨーロッパの主要国リーグで、首位のチームが独走し、早々に優勝が決まってしまうところが多かったが、ロシアもそのパターンであった。また、ロシア・カップもゼニトが優勝し、国内2冠を達成した。
上の順位表で、来シーズン、1位と2位はCL本戦、3位はCL予選、4位はEL本戦、5位、6位はEL予選出場となる。先日、FC東京の橋本拳人の移籍が決まったロストフは5位で、上手く行けば橋本の出場するELの試合が日本でも観られるかもしれない。
一方、ロシア・プレミアでは、下位は、15位と16位は2部へと自動降格、13位と14位は2部との入れ替え戦というのが、本来のルールである。しかし、2019/2020シーズンはコロナ危機に伴う日程の過密化に鑑み、再開する時点で、13位・14位の2部との入れ替え戦はやらないことを決め、特例で自動残留が認められることになった。アフマト・グロズヌィとタンボフが命拾いした。なお、降格するクルィリヤ・ソヴェトフ・サマラとオレンブルグに代わって、来季2部から昇格してくるのは、ロートル・ヴォルゴグラードとヒムキである。
ちなみに、ロシア・プレミアリーグは、6月21日に再開し、残っていた8試合を消化したわけだが、こちらの記事などが伝えているとおり、ロシア消費市場監督局の許可が下り、観客を入れて開催することが認められた。ただし、スタジアムの収容人数の10%を上限とすると定められた。上に見る写真は、ロストフのスタジアムで、キャパが45,415人であり、その10%の来場があったということをビジョンで伝えている。
ところで、7月18日にFC東京のホームゲームで橋本拳人の壮行セレモニーが行われた際に、ロシア語でТы сможешь(「頑張れ」といった意味)という横断幕を掲げたファンがいたようだ。それにFCロストフの公式が反応し、上のようにツイッターでその模様を紹介していた。仙台の西村はあまり爪痕残せなかったけど、橋本は活躍するといいねえ(その効果でDAZNでロシア・プレミアリーグが観れるようになったりしたら万々歳)。
それにしても、個人的には、ロシア・プレミアリーグは2019/2020シーズンが終了したばかりなのに、なぜ橋本はそんなに急いでロシアに渡るのかと、ちょっと理解できないでいた。ところが、今般調べたら、何と、ロシアでは2020/2021シーズンが、早くも8月8日に始まるのだという。7月22日に2019/2020シーズンが終わってから、16日間しか間がないではないか。これは驚いた。ちなみに、イングランド・プレミアリーグは9月12日、ドイツ・ブンデスリーガは9月18日開幕とされ、ロシアの早さは際立っている。まあ、ロシアは12月から2月まで長いウインターブレークが入るので、普段から開幕は西欧主要国より早いとはいえ、いくらなんでも今回はもうちょっと間を置くのかと思っていた。
(2020年7月29日)
私は、日本のある実業誌で、年に1回の連載を引き受けている。今般、その原稿として「危機管理が下手な国だと自覚すべき」というコラムを執筆し、編集部に提出した。私としては、自分の専門はロシア・NISではあるけれど、一般の実業誌でロシアの話をしても、それほど興味を持ってもらえるとは思えず、むしろ私が見るところのコロナ禍の日本の問題を書いて、ロシアの話は日本との比較でちょっと言及する程度にしようと考えて練った内容だった。
ところが、原稿を読んだ編集部から、「先生にはロシア圏の専門家としてご登場いただいているので、ロシア圏の話題を中心にお願いしたい」という反応があった。まあ、言われてみればそのとおりであり(笑)、当初の原稿は取り下げて、ロシアに重点を置いた内容に差し替えて、再提出した次第である。
そんなわけで、最初に書いた日本を中心にした原稿が、ボツになってしまった。以下のとおりボツ原稿を掲載し、今月のエッセイに代えさせていただく。なお、予定していた媒体の性格上、自分の本音よりもだいぶ穏便に書いている。
■危機管理が下手な国だと自覚すべき
コロナ禍の昨今、ツイッターなどを眺めていると、「今が安倍政権で良かった。(かつての)民主党政権だったらと想像すると、ゾッとする」といった書き込みが散見される。
その一方で、今年公開の映画「Fukushima50」を観た感想として、「2011年当時、安倍政権だったらと想像すると、恐ろしくなる」などと、真逆のコメントをしている人もいた。政治的立場が変わると、危機対応についての評価も、こうも変わるのかと、驚かされた。
私見を忌憚なく述べれば、安倍政権であるがゆえに、日本がコロナ危機に上手く対処できているとは、とても考えられない。確かに、日本の感染確認者数や死者数は、欧米のそれに比べて桁違いに少なくなっている。だが、それが政府の対応の賜物ではないことは、明白である。安倍政権のコロナ対応が、とても褒められたものではない以上、今が民主党政権だったとしても、それによって状況が悪くなるということは考えにくい。ただ、「民主党ならもっと良かったはず」と考えるほど、筆者もナイーブではない。
2011年の原発事故に関しても、然りである。未曽有の危機に直面し、当時の民主党政権が右往左往したことは、事実であろう。だが、時の政権が安倍内閣だったら、もっと悪かったはずとか、逆にもっと良かったとかは、個人的に思えない。
要するに、どの政党が政権に就こうと、誰が総理に就任しようと、多少の程度や方向性の違いはあれ、日本政府は危機管理が一貫して下手だと、疑わざるをえないのだ。
なお、今般のコロナ危機で、一部の都道府県知事が、国よりも機敏な立ち回りを見せ、株を上げた。だからと言って、そうした知事に国政を任せたら、上手く行くとも限らない。モーターボートを巧みに操ってみせたからと言って、大型タンカーの操縦はまた別物である。
これからも、自然災害や感染症はやって来る。日本には日本の長所、真面目さや緻密さといった国民性があるので、それを活かして、日頃から入念に危機への準備をしておくことが肝心だろう。いざという時に、日本政府の危機管理に、多くは期待できないのだから。
世界に目を転じると、強権的な体制の方が、感染防止には有利であるといった言説も広がっている。筆者の研究対象国の中では、ロシアのとった措置などは、確かに大胆だった。プーチン大統領の号令により、3月28日から5月11日までを休日に指定し、一部の職種を除き、国民に休業を命じたものだ。
ただ、強権的であれば適切な対策が講じられるかと言えば、もちろんそんな保証はない。これも筆者の研究対象国であるベラルーシという国では、「欧州最後の独裁者」と呼ばれるルカシェンコ大統領が、コロナなど恐るるに足らずといった放言を繰り返し、ろくな対策も講じなかった。今年8月に大統領選挙を控えたルカシェンコとしては、平穏無事をアピールしたかったのだと見られる。
強い政治権力が、的確な危機管理を約束してくれるわけではないのだ。
(2020年6月15日)
コロナ危機で、自宅待機を余儀なくされる人が増え、流行ったものの一つに、「ブックカバーチャレンジ」というものがあった。ただ、私は友達がいないせいか(笑)、誰からもオファーを受けなかった。そこで、誰にも頼まれてもいないのに、勝手に一冊紹介してみたい。永井陽之助『現代と戦略』(文藝春秋、1985年)である。なお、2016年に中公文庫から『新編 - 現代と戦略』が出ており、永井先生と岡崎久彦氏(当時、永井先生の論敵だった外務省高官)との討論も載録されている由なので、今日ではそちらの方が入手しやすいだろう。
感受性の強い若い頃に読んだ本というのは、良く覚えているものである。この本は、私が東京外国語大学に在籍し、国際政治学を究めんと悪戦苦闘していた当時(外語があまりそれに適した大学ではないということも知らずに)、自分にとってのアイドル的存在の永井先生が(当時は東工大教授)上梓されたものだった。ただ、今般見直してみたら、手書きで「800円」と書かれていたので、たぶん出てしばらくしてから古本屋で買ったのかもしれない。
ここに書かれている内容で、若かった私に刺さりまくったのは、「プロぶる専門家ほど危険」という指摘だった。そして、今回のコロナ危機への対処につき、私が色々と考えを巡らせる上でも、「『専門家』を疑え」という永井先生の言葉が、常に戒めとして響いていたのである。コロナ問題に関し、「素人は余計なことは言わず、専門家の言うことに従いましょう」という人は多かったと思う。しかし、永井先生の教えに触れていた私には、そう単純な問題とは思えなかったのだ。
『現代と戦略』の中から、関係する箇所を抜粋・引用してみる。
こんにちの安全保障論で直面する第二の困難性は、われわれのような軍事問題の素人は、ハードなデータに直接のアクセスをもちえないことである。いったいなにを根拠に戦略を論じたらいいのか、困惑を感じない人はいないであろう。もっともらしくプロぶって数字をならべる国防インテリなるものも、偵察衛星、諜報機関、おびただしい刊行物の体系的分析の諸手段を独占している米中央情報局(CIA)や国防総省などの提供するデータにたよって、ものをいっているにすぎない。その点では、プロもアマも五十歩百歩なのである。
岡崎氏の著書をみると、機密情報に接しえない素人には安全保障問題などに口出しする資格はない、「土地カン」のある専門家を信頼するのが無難だという態度がほのみえるのはたいへん遺憾である。本書、第Ⅸ章で指摘するように、外交や戦略にかんするイギリス伝来の知的風土は、残念ながら岡崎氏の態度とは好対照をなしている。ロンドン大学の森嶋通夫教授も強調していたように、イギリス指導階級特有のアマチュアリズムこそ、文民支配のコアにあるものである。
戦時中、日本の軍部や、多少とも国策研究にかかわっていた御用学者たちが、「機密情報に接しえない素人は黙っていろ」という態度で、日本の前途や戦況を憂える学生の疑問を封じたという。このことは、私の尊敬する高名な政治学者が、痛恨をこめてかたる戦時体験のひとつである。ひろい教養とバランスのとれた判断能力のかけた、プロぶる専門家の意見ほど、この種の問題で危険なものはない、というのが多年にわたる「自分の経験」からえた教訓である。
安全保障論議の第三の困難性は、核時代における防衛論は多くのパラドックスとディレンマをふくむ、ということである。「あちらをたてれば、こちらがたたない」という関係(トレード・オフ)が多い。逆からいうと、この種の議論で、スッキリ割り切った意見は、俗耳に入りやすいが、そこにふくまれる深刻なディレンマに感受性をかく点で一種の傍観者の意見とみてほぼまちがいない。「平和主義者の“明快さ”は、かれらが局外者の立場に身をおいているからである」というスタンレー・ホフマン教授(ハーバード大学ヨーロッパ研究所長)の警句は、そのまま、いわゆる軍事的リアリストにも妥当する。
核時代の安全保障問題はすくなくとも大別して三つの基本的なディレンマをもっている。……第二が、「福祉」か、「軍備」か、バターか大砲か、の手段の選択にかかわる優先順位の問題である。
言うまでもなく、私自身は、感染拡大防止のために政府専門家会議が提言してきた内容が的確だったかどうか、判断する能力はない。しかし、死亡者数の予測や接触8割削減といった提言は果たして正しかったのだろうかという、疑いは持ち始めている。軍事オタクに戦争指導を任せたらいけないのと同じように、疫学というごく狭い分野の専門家に、緊急事態宣言の是非といった国家戦略を委ねてよかったのだろうか、と。そうした専門家は、永井先生が指摘するようなディレンマを考慮せず、もっぱら自らの専門分野の観点から、国家戦略を誘導してしまうことが起きがちなのではないか。
私自身、思い当たるフシがある。これについては、以前、「ウクライナ政変から5年 地域研究者による極私的回想」というエッセイに綴ったとおりだ。ずっとロシアやウクライナを研究してきて、細かい知識とかはそれなりにあったのに、いざその国をめぐる状況が風雲急を告げた時、事態を的確に見通すことがまったくできなかったのだ。思い入れが強すぎたり、細かい知識に引っ張られすぎたり、研究者としての思惑(こうなってくれた方が自分にとって都合が良いという下心)が分析ににじみ出たりして、とても客観・中立・冷静な判断はできなかったのだ。ただ、日本政府が、ウクライナ危機への対応方針を決める上で、私の分析など考慮しなかったであろうことだけは、救いである。
さて、上述のように、「プロ」の独善を排し、指導階級の英知によって的確かつバランスのとれた戦略を選択することこそ、国家のあるべき姿というのが、永井先生の主張であった。残念ながら、今の日本では、その点こそが最も期待できない部分なのだが。
(2020年5月29日)
先月のエッセイでは、我が職場の仕事は在宅勤務が充分に可能なのに、一向にそういう風向きにならないと愚痴をこぼした。しかし、さすがに政府が緊急事態宣言を出し、人間同士の接触をできれば8割減らしてほしいとの意向を表明したことで、我が職場でも今般ようやく在宅勤務が導入されたところである。ことほどさように、世界も、日本も、コロナ一色だ。
ごく個人的な話で恐縮だが、今般のコロナパニックにあっても、今のところ私はマスクには不自由していない。元から、上の写真に見るようなお徳用60枚入りの箱を買ってあったのである。まあ、毎日使い捨てというのは無理だが、何日か使い回す形で、今のところ在庫は持ち堪えている。
なぜマスクを箱買いしていたかというと、何年か前のNHKスペシャルで、「首都直下大地震が起きると、首都圏の避難所では、被災者が殺到してすし詰めになる」という話を伝えていたからだ。私はそれを観て、「それが冬だったら、避難所でインフルエンザが大流行するだろうな。その事態に備えて、マスクを買っておくか」と思い立ち、マスクを箱買いして、防災グッズの中に入れておいたのだった。まさか、後にウイルスのパンデミックが起きて、マスクがこんな形で役に立つとは、予想だにしなかった。買った当時、私は10~20枚入りくらいの適度なセットが欲しかったのに、セット売りはこの60枚入りのものしかなく、「しょうがないなあ、これでも買うか」と手に取ったのだが、結果的にずいぶん役立った。
ところで、最近私は、このマスクの箱を眺めていて、ふと思うのである。「順番が逆になったけど、このパンデミックの状況で、首都直下地震や南海トラフ地震が起きても、おかしくないな」、と。首都直下地震の確率は今後30年で70%、南海トラフ地震は今後30年で70~80%などと言われており、それが今日起きてもまったく不思議はない。
新型コロナウイルスの感染が拡大し、3月頃から日本でも、スーパーマーケットで一部の食品が一時的に品薄になる現象が生じた。その際に農林水産大臣が、「食料品は、十分な供給量を確保しているので、安心して、落ち着いた購買行動をお願いいたします」とのメッセージを発した。同省によれば、米は需要の190日分、小麦は70日分の備蓄があり、食料供給に問題はないのだという。しかし、日本政府(農林水産省)は日頃から、「我が国の食料自給率は危機的に低く、しかも年々低下しており、このままでは日本の食料安全保障が危うい」と、散々強調してきたはず。それが、コロナパニックになったとたんに、「食料供給は大丈夫です」と太鼓判を押されても、にわかには信用しかねる。
また、日本政府は、我が国は地震などの災害リスクが高いので、常日頃から食料・飲料の備蓄を十分にしておきましょうと、国民に訴えているはずだ。上の画像は、首相官邸のこちらのページから抜き出したものである。どうも政府というのは、日頃は国民に危機感を煽っておきながら、いざ危機が起きると「心配ない。大丈夫」とうそぶくバイアスがある気がする(もちろん、災害への備えが必要なことは言うまでもなく、個人的にも実践しているつもりだが)。
私自身は、上述のとおりまだマスクの在庫はあるし、トイレットペーパーもストックがあり、物資で不自由しているということはない。一部の高齢者のように、朝からドラッグストアだのスーパーマーケットだのに並んで、希少物資を買い占めるなどということは、一切していない。
しかし、自分にとって不可欠のある種の物資・食品につき、「これだけあれば、とりあえず当分大丈夫だろう」と思える水準の在庫を構築するということはやっている。特に、3月にイタリアが最悪の状況に陥った時期に、イタリア産の商品が気になった。私の場合、自宅ではパスタは食べないのだけど、朝食の一環としてエキストラバージンオリーブオイルを食していて、「これがなくなると困るなあ」と思い、確認してみたら意外に日持ちもするので、多目に買っておくことにした。現在の在庫が上の写真に見るとおりである。
ちなみに、イタリアのオリーブ産地は南部であろう(だとしたら北部中心のコロナ感染拡大からは外れているはず)という漠然としたイメージを抱いていたが、上の地図に見るように、意外と北部の産地も多いようだ。果たして、私が毎日食しているオリーブオイルはどのあたりで生産されているもので、そして今後の供給はどうなのだろうか?
もう一つ、実は私は歯医者さんに勧められて、イタリア製の歯磨き粉を使っている。日本語サイトもあるバイオリペアプロというブランドの商品で、今般本社のHPをチェックしてみたら本社はボローニャ所在のようである。ボローニャは感染が深刻な北部の街なので、私自身日頃お世話になっているメーカーさんのことが心配だ。これもとりあえず、一定量ストックしておくことにした。
このように、イタリアが危機という連想から、私の場合はとりあえずオリーブオイルと歯磨き粉の在庫に余裕をもたせることにした。ただ、その後、イタリアだけでなく多くの欧米諸国で感染が爆発的に広がり、イタリア云々よりも、全世界的な商品・食品のサプライチェーンに不安が生じる事態となっている。むろんパニックに陥る必要はないものの、かといって政府の言うことを鵜呑みにして安心しているわけにもいかない。何しろ、もしかしたら、この状況で大地震が襲ってくるかもしれないわけだから。
(2020年4月19日)
新型コロナウイルスのパンデミック、ここまで酷い事態になるとは、ちょっと前まで想像もしていなかった。新型肺炎自体は、基礎疾患のある方や高齢者以外にとっては、それほど恐ろしい病気でもないはずなのだが、なにせ社会的な影響が大きすぎる。
ところが、奇妙にも、今のところ私の仕事には、ほとんど影響が出ていない。2月に、中規模の会合が3つほど中止になった程度である。所属団体の報告会に、大学の諮問会議に、中央官庁の検討会議であり、いずれも20~30人程度の会合のはずだった。大学と官庁の会合は、代わりに書面でコメントを出して対応した。
もちろん、私の所属団体では、3月の講演会開催が危ぶまれたり(結局、細心の注意の上で実行した)、別の職員が出張の日程変更を余儀なくされたり、来年度の事業計画がなかなか立てられなかったりといった問題には直面している。しかし、私自身は、所属団体で主として刊行物の編集・執筆を担当している。また、プライベートでは、先月号のエッセイで述べたとおり、外部からの諸々の原稿をお引き受けしており、ウェブメディアで連載を担当しており、また日々ブログを更新している。こういうことを生業としている限り、パンデミックであろうと、基本的に日々やることに変わりはなく、相も変わらず毎日締切に追われて過ごしているわけである。「一つでもいいから、何か締切がなくなってくれないかな」などとも思ったりするのだが、今のところそうした気配はない。
何年か前から、私は自宅でも職場と同等のOA環境を整備しており、またデータはすべてクラウド化している。自慢じゃないが、すべて自腹で整備した。その結果、編集・執筆に関しては、自宅でも職場と同等の作業ができるようになっている。たとえば、編集を担当している『ロシアNIS調査月報』の印刷会社への入稿などは、作業が深夜や早朝に及ぶことも多いため、自宅から入稿することが多い。無駄にテンションが高く奇声を発したりする同僚がいない分、自宅の方が集中して良い仕事ができたりする。だから、個人的には、今話題の在宅勤務、テレワークなどは、どんと来いという気持ちしかない。
しかし、私の勤務先は、一向にそういう方向性にならない。日本政府は以前からテレワークを推奨しており、特に新型コロナ問題が発生してからは民間にそれを求めているはずなのに、政府と密接に連携しながら日ロ経済関係の促進に取り組んでいる当会がテレワークという風向きにならないのは、奇妙なことだなと感じる。
まあ、ただ、日本でも一部の業界が陥っている窮状や、日常生活が完全に破壊された欧米のことを考えれば、今のところ仕事が一つもキャンセルになっていないこととか、普通に外出したり通勤できているということ自体、幸せと思わなきゃいけないんだろうな。もしかしたら、半年後くらいに、「ああ、あの頃は良かったな」と思うような事態になっているかもしれないし。オチは何もないが、そんなことをつらつらと思う、2020年の春。
(2020年3月23日)
ごく個人的なことなのだけど、この1月半ばから2月半ばくらいにかけての約1ヵ月間に、大きな締切が続いた。私の場合、所属団体の『ロシアNIS調査月報』用に軽めのレポートを毎月2~3本くらいは書いており、GLOBE+にも毎週コラムを寄稿しているのだが、くだんの1ヵ月間は、そうしたレギュラーベースの締切とは別に、長期的なプロジェクトや特別企画的な締切が集中し、大変だったわけである。こうしたイレギュラーな作業をやる時間というのは土日くらいしかないので、ずっと休みがあってないような感じだった。
仮に締切が集中しても、テーマが同じようなものであれば、コピペ戦法が使える。しかし、私が最近相次いで直面したのは、かなりバラエティに富んだテーマの締切たちであり、それゆえに往生したわけである。昨年6月のエッセイ「一番好きなロシア語単語はサヴメスチーチ!」で、なるべく1つのテーマを使い回して複数の仕事を芋づる式に片付けることこそ醍醐味と述べたが、今回はそれと真逆になってしまったわけだ。
まあ、転んでもただは起きないと言おうか、今月のマンスリーエッセイでは、私が1月半ばから2月半ばくらいにかけての約1ヵ月間に、どれだけ振れ幅の大きいテーマの締切と格闘したかということを、語ってみようと思う。文字だけでは寂しいので、それぞれの仕事につき1点、原稿に載録した図表をお目にかけることにする。
まず、私の所属団体のロシアNIS貿易会では、『ロシアNIS経済速報』というニュースレターを月3回出していて、いつもはカジュアルな内容が多いが、毎年年頭の号くらいは、大きなテーマの論考を掲載するようにしている。本年の年頭号に向けて、私が「2020年代のロシア・ユーラシア地域秩序を占う」というレポートを執筆したのだが、色々思うところあり、ちょっとムキになりすぎたのが失敗だった。結局、年初の1月15日号だけでは収まらず1月25日号との上下となり、さらに諸事情から『ロシアNIS調査月報』3月号にも若干のアップデートの上で転載した。
本稿の内容は、「2020年の年頭に当たって、当会の事業対象国であるロシア・NIS諸国の政治・経済・国際関係の動向を概観することを試みる。その際に、この地域の盟主的な存在であるロシアと、その他のNIS諸国との関係性に重点を置きながら、またロシアと欧州連合(EU)および中国という外部勢力との相克に着目しつつ、各国の国情を見ていくことにする」というものであった。最初は、ロシア・NIS各国について1段落くらいずつ言及するようなイメージでいたのだが、結局12ヵ国すべてについて個別に節を設けてそれなりに詳述するような感じになり、無謀な試みだったかと反省している。たとえば、ジョージアについては、ロシアとの対立でインバウンド観光業が苦境に立たされたことに着目し、上掲のような図表を掲載した。
次に、私が直面したのは、「一帯一路の沿線国としてのロシア・ユーラシア諸国の経済的利害 ―鉄道部門を中心に―」という論文の締切だった。昨年秋に行った学会発表を、改めて論文にして学会誌に投稿するという作業である。基本的には秋の発表と同一内容とはいえ、学術論文の様式に仕立てるのには、やはりそれなりの労力を要した。本稿の主たる分析対象として、中国~欧州間をカザフスタン・ロシア・ベラルーシを経由してコンテナ鉄道輸送する「中欧班列」があり、その関連で上掲のような図表を掲載した。内容に問題がなければ、今年発行される学会誌に掲載されるはずなので、出たら改めてご紹介したい。
その次に取り組んだのが、「ウクライナ農業と農産物・食品輸出 ―対EU輸出を中心に―」という論文のまとめだった。立教大学経済学部の蓮見雄教授が中心になって進められてきた研究プロジェクトがこのほど完結し、その報告書に掲載する論文を提出したものだった。ウクライナ農業と農産物・食品輸出というテーマは、2年前に完成させた博士論文の一部としてすでに発表済みではあったが、今回は統計データおよび情報をアップデートする形となり、それだけでも結構な作業となった。上の図表はその成果の一部である。
そして、次なるお題は、「ユーラシア経済連合の共同エネルギー市場」。2月16日(日)に立教大学で開催された公開シンポジウム「エネルギー安全保障:欧州の経験とアジアへの示唆」で発表を行ったものであり、論文を書いたわけではなかったものの、割と大きなシンポジウムで、自分にとって微妙に新しいテーマだっただけに、上の表のように事実関係の確認事項も多く、それなりに準備作業を要した。このシンポジウムは、上述の蓮見教授の研究プロジェクトを締め括るものであり、「ウクライナ農業と農産物・食品輸出」と「ユーラシア経済連合の共同エネルギー市場」という全然違うテーマにしなくてもよかったのだけれど、色んな経緯からそのような成り行きとなり、自分の首を締めることとなった。
最後に、最も変わり種の仕事として、「サッカーを通じて見るロシアの国家と社会 ―2018年のワールドカップを契機として―」という論考を書き下ろした。これは、本年刊行される予定の国際関係の叢書用の原稿。権威ある出版社から出る本だし、私にとってはこの10年取り組んできたロシアのサッカー事情研究を集大成するものでもあるので、本来であればもうちょっとじっくり書きたいところだったが、だいぶ突貫工事になってしまった。
というわけで、1月半ばから2月半ばくらいにかけて、以上のような5つくらいの大きな締切に直面し、なんとか最小限の傷でその波を乗り切ったところである。そうこうするうちに、ロシアで改憲提案とか内閣交代といった事態となり、それはそれでフォローせざるをえなかったし。これだけ全然違うテーマに追われていると、股裂きどころか、八つ裂きにされているような心境である。私の中では、出発点はすべて同一の問題意識のはずなのに、どうしてこうも研究対象がバラバラになっていくのだろうか?
(2020年2月26日)
先日、GLOBE+に、「まだだいぶ遠いロシア全地域制覇への道」というコラムを書いた。要するに、自分はロシアの全83地域(クリミア共和国とセヴァストーポリ市も入れれば85だが)のうち、これまでいくつを訪問したことがあるかという談義であり、本マンスリーエッセイで過去に何度が披露した話を、今回はGLOBE+で一般読者向けに書いてみたという次第である。下の図は、その時に掲載した訪問歴地図を再掲するものだ。
それで、くだんのコラムを書いた時に、州や共和国といった地域のレベルだけでなく、訪問した都市についても語ろうかと思ったのだけど、コラムが長くなりすぎるので、やめておいた。そこで、今月のエッセイでは、コラムでは割愛した訪問都市の一覧を掲載してみたいと思う。ロシアの100大都市を人口順にリストアップし、訪問済みの街をピンク色に塗って示してみることにする。まずは、人口1位から50位まで。
1~50位は、人口40万以上の街ということになっている。常々、このくらいのレベルは、全部制覇したいと思ってるわけである。ただ、現時点で15存在する百万都市のうち、オムスクが未踏というのは、面目次第もない。結局、人口1位から50位までの街は、33勝17敗ということになっている。続いて、人口51~100位の街の訪問歴は以下のとおり。
こうやって見ると、人口51~100位の都市というのは、ほぼ人口20万~40万規模の街ということが言えそうである。さすがにこのあたりだと私の出没度もだいぶ怪しくなってくる。州都でなくて、州の中でも2番手くらいの街が多いので、なかなかそこまでは訪問機会が生まれない。どこにあるのか良く分からないような街もいくつかあるし。人口51~100位の都市では、21勝29敗で、負け越している。
ロシア百大都市の訪問歴をトータルすると、54勝46敗ということで、かろうじて勝ち越していることが判明した。
(2020年1月29日)