モルドバ出張で人生を取り戻した

 4月21~29日の日程で、モルドバに出張し現地調査を実施してきた。これまで私がモルドバを訪問したのは、2006年のただ一度きりだったので、実に18年振りのモルドバ行きということになる。

小規模ながら小奇麗ではあるキシナウの空港

 というよりも、今回のモルドバ出張は私にとり、「5年振りの現地調査」という意味合いの方が大きかった。2019年秋にロシアのシベリアに出かけたのを最後に、その後のコロナ騒ぎと、現地情勢の悪化により、自分の調査対象国に行くことができなくなってしまったのだ。

 確かに、昨年のエッセイ「4年振りの海外、26年振りのアメリカ」で綴ったとおり、米アラスカで現地調査をする機会はあったし、その後も米フィラデルフィアの学会に出席するというイベントもあった。しかし、米アラスカはロシア極東・シベリアとの比較分析という観点から興味は尽きなかったものの、やはり自分の生業である旧ソ連圏での現地調査とは似て非なるものがあり、心は満たされないままだった。

キシナウの広場でハチミツを売っていた露店

 それが今回、参加している研究プロジェクトから貴重な機会をいただき、モルドバでの現地調査が実現したものである。とにかく現地に出かけ、有識者と面談するのはもちろん、首都だけでなく地方にもなるべく足を伸ばし、時間が許す限り街を歩き回り、写真を撮りまくり、商店や市場を観察し、そうやってその国を体感する。これが30年くらい私が続けてきた流儀であり、年にだいたい2回くらいそうした現地調査を行うことが、私の研究活動の柱の一つだった。5年間も中断していたその活動を、ようやく再開できたわけで、大袈裟でなく、人生を取り戻したという思いだ。

モルドバの両替所では、ロシア・ルーブルのレートが表示されておらず、
おそらく対応していないと思われるところも多かったが、ここは表示あり

 私は決してロシア語会話が上手くないが、やはりロシア語を使って仕事をすることこそ、自分の本分だと思っている。モルドバという国としてはロシア離れを図っているものの、モルドバでは沿ドニエストルはもちろん、ガガウズのようにロシア語系住民が主流の地域もあり、キシナウなどでもまだ英語よりはロシア語の方が優位性がある。その意味でも、自分のホームグラウンドで仕事をしているという実感を得ることができた。さすがに5年間ほぼしゃべっていなかったので、錆び付いた感は否めなかったものの、今後も何らかの形でチャンスがあるものと信じて、ロシア語力も維持・改善していきたい。

 モルドバでの調査の成果に関しては、色々とアウトプットすることになるはずなので、お楽しみに。

(2024年4月30日)

あれから20年:そろそろ単著を書かないとヤバい

 一昨日、3月25日は私にとって重要な記念日だった。今のところ私の主著となっている『不思議の国ベラルーシ ―ナショナリズムから遠く離れて』が2004年3月25日に刊行されてから、20年の節目だったのである。

 有難いことに、今でもこの本はオンデマンドという形で現役の商品となっており、ポツポツと売れている。もっとも、ベラルーシが脱ルカシェンコ体制化を遂げ、自由な社会になっていたら、私のこの本も決定的に古くなっていたはずだ。20年前に私が描いたベラルーシという国の困難が、もっと深刻化した形で今日も残っており、それゆえに私の本も賞味期限が切れていないと思うと、複雑な心境だ。

 それ以降、私は単著と呼べるものを上梓していない。ブックレットは出したし、編著も出したし、むろん共著の中で1つの章を担当したことは何度もあったが、単著は出せなかった。

 実を言うと、2017年に「ロシア・ウクライナ・ベラルーシの通商・産業比較 ―地政学危機の中の経済利害」という博士論文を完成させ、それを書籍化する計画を立て、出版社も決まっていた。しかし、時事的な内容だったこともあり、私の悪い性分が出て、最新の情報にアップデートすることにこだわるあまり、情勢変化とアップデートの追いかけっこのような出口のないスパイラルに陥った。それでも、2020年の前半くらいまでには、どうにか出版に回せそうな手応えが掴んだのだが、そこで勃発したのがベラルーシ大統領選をめぐる大混乱であり、それによって生じた情勢変化も盛り込まなければ意味がないように思え、また出版が遠のいた。2022年2月以降の悪夢に関しては、もうお手上げという感じである。色んな人から、ある程度のところで区切って出すしかないというもっともなアドバイスをもらうのだが、それができないのが私という人間だ。というわけで、博士論文の書籍化、諦めたわけではないものの、夢は遠のくばかりである。この出版が実現したら、お祝いに飲もうと思っているモルドバワインが1本あるのだけれど、冷蔵庫の中で熟成を重ねるばかりであり、一生飲めないような気がしてきた。

 編著の面では、頑張っているつもりではある。この10年間で、『ベラルーシを知るための50章』、『ウクライナを知るための65章』を出した。明石書店さんの「エリア・スタディーズ」、『●●国を知るための■章』のシリーズは、昨年200巻を達成されたそうだが、その最大の功労者は私ではないかと(笑)、ひそかに自負している。これについては、新たに近々、良いお知らせができるはずなので、楽しみにお待ちいただきたい(我慢できずに下の画像でチラ見せ)。

 ロシアによるウクライナ侵攻が始まってから、同業者の皆さんの奮闘振りは目覚ましく、数多くの関連書籍が刊行されている。しかし、私は雑誌やウェブメディアには数多くの論考を投稿しているものの、書籍という点ではこれといったものを残せていない。その点も反省である。

 実は、大手の新書編集部から、誘いはあった。それは、ベラルーシについての新書を書いてみないかというものだった。その時私がお答えしたのは、「ベラルーシに関しては『不思議の国ベラルーシ』で語り尽したという思いがあり、その二番煎じのようなものはあまり気乗りがしない。仮に新書を書くとしたら、ロシア・ウクライナ・ベラルーシの『東スラヴ三国志』のようなものだったら、書いてみたい気持ちはある」ということだった。

 しかし、そうお答えして以来、編集者からの連絡はない。ベラルーシ単体より、東スラヴ三国志の方が、面白そうだと思わん?

(2024年3月27日)

最近の私の音楽ライブ観賞モード

 私の音楽鑑賞は、洋楽の比率が圧倒的に大きいが、邦楽アーティストについても、気に入ったものはとことん追いかけ、ライブにもなるべく参戦したいと思っている。具体的に言えば、山下達郎、竹内まりや、中島美嘉、柴田淳といったアーティストがそれに該当する。

 しかし、達郎は毎年コンサートツアーをやってくれるものの、近年チケットが争奪戦になり、ファンクラブ枠で1回観るのが精一杯という状況になっている。まりやは数年に一度くらいしかコンサートをやってくれない。中島美嘉は最近ではコンサートが小規模化、ローカル化し、なかなか都合が合わない。しばじゅんのライブとなると非常にレアである。何より、札幌に移住して以来、東京あたりで行きたいと思うライブがあっても、わざわざ飛行機で駆け付けなければならず、自由度が格段に低下した。

 そこで、最近の私の音楽ライブ観賞モードとして、自分の推しを本州まで追いかけるというよりも、自分が大好きかどうかにかかわりなく、札幌に来てくれたアーティストを積極的に観ようという心境になってきた。私は札幌の中心部に住んでいるので、一連のコンサート会場まで徒歩15分という感じであり、移動等に伴うストレスがなくて大変よろしい。

 と同時に、もう一つ思うようになったのは、自分が同時代を生きてきた主立ったアーティストは、生きているうちに一度生で観ておきたいという点である。最近、邦楽黄金時代を彩ったベテランミュージシャンの訃報が目立ち、昨年も坂本龍一、高橋幸宏、谷村新司、もんたよしのり、大橋純子、そして八代亜紀といった人たちが亡くなってしまった。これまで自分がそれほど深く思い入れていなかったとしても、いざ亡くなってしまうと、ああ一度でいいから観ておけばよかったなと、訃報に接するたびにそんな思いを強く抱くようになったのである。

 そんなわけで、「一度は観ておけ活動」の第一弾として、昨年の11月に2日間にわたって、札幌文化芸術劇場にてさだまさしのライブを観賞した。初日はグレープ再結成、2日目はソロの演目だった(上の写真は2日目の開演前の様子)。個人的に、しめっぽいフォークなどは必ずしも好みではないのだが、実際に体験してみて、さだまさしコンサートは本当に一度は観るべきものだなと実感した。話には聞いていたが、音楽に加え、トークが凄い。トークは完全に伝統話芸の領域である。

 これは道外でのイベントだったが、2月に神奈川県民であった「シティポップスタジオLIVE」も楽しかった。これは、色んなアーティストが集合してそれぞれ1~2曲ずつ披露するものであり、「生きているうちに一度は観ておく」という目的を効率的に達成する上で都合が良い(笑)。上の写真は、終演後に出演者がステージ上で記念撮影に応じてくれたもの。別の方がセットリストを整理してくれたので、忘れないようにコピーしておく。

真夜中のドア(小比類巻かほる)
フライデイ・チャイナタウン(マリーン)
う、ふ、ふ、ふ、(EPO)
私のハートはストップモーション(桑江知子)
レイニー・サマー(鈴木雄大)
眠れぬ夜(松尾一彦・鈴木雄大)
君を待つ渚(同)
男達のメロディー(芳野藤丸・濱田金吾)
BAD CITY(同)
PIANO MAN(濱田金吾)
今夜はドラマティック(山本達彦)
ロング・バージョン(安部恭弘)
埠頭を渡る風(一十三十一)
CATCH YOUR WAY(杉真理)
ホールド・オン(杉真理・土岐麻子)
ドリーム・オブ・ユー(土岐麻子)
一本の音楽(黒沢薫)
It's Magic(マリーン)
DOWN TOWN(EPO)
【アンコール】
君は天然色(杉真理・鈴木雄大)
SHOW(全員登場)(ボーカル:濱田金吾、杉真理、鈴木雄大、黒沢薫、土岐麻子、一十三十一)

 もう一つ、芋づる式イベントとして、これはまだ先だけど、こんなチケットも買ってしまった。コッキーポップって、懐かしすぎて、脱力する(笑)。

 このほか、渡辺香津美トリオwith吉田美奈子、尾崎亜美の札幌公演チケットを確保済み。このモード、しばらく続きそう。

(2024年2月28日)

マイ・ウクライナ10周年

 前にも書いたと思うが、個人的に「何とか周年」にはこだわるタイプである。情報発信を生業としている職業柄、どうしてもそうなる。

 我々の業界では、目下のところ、「ロシアによるウクライナへの全面的な軍事侵攻開始から2年」をもうすぐ迎えることから、そのタイミングを捉えた様々な企画が進行しており、私もそのいくつかに関わっている。

 ただ、考えてみれば、この2月は、2014年のウクライナ政変、一般的に言うところのユーロマイダン革命、本人たちが言うところの尊厳革命から、10年の節目である。ロシアによる一方的なクリミア併合からも丸10年である。侵攻2年に気を取られがちで、個人的にも余力はないが、本来であれば2014年をもっとじっくりと再検証することが必要なのだろう。

 ユーロマイダン革命当時のことを思い返すと、私は2013年11月にウクライナでの現地調査を試みた後、当時編集長を務めていた『ロシアNIS調査月報』の2014年1月号(発行は2013年12月20日)で、「ウクライナの選択とビジネスの可能性」と題する特集を組んだ。同号の編集後記で、私は以下のように綴っている。

ウクライナの特集は、2008年3月号、2011年3月号(その時は西NIS全体をカバー)に続いて、今回が3回目、約3年振りとなります。当然のことながら、EUの東方パートナーシップ・サミットをにらんだ企画でしたが、ヤヌコーヴィチ政権が突然、連合協定調印棚上げの方針を示し、ウクライナ情勢が大混乱に陥ってしまったのは、正直誤算でした。こうなってしまうと、小誌の体制では受け止めきれません。そこで、過度に時事ネタに走らず、経済・ビジネスを中心にベーシックな情報をお伝えする方向に軌道修正しました。

 それで確か、特集号を出した後、「ウクライナについての情報発信を一過性のもので終わらせてはならず、これからはよりこまめに情報を出していこう」というようなことを考えたんだったかな。『ロシアNIS調査月報』の2014年2月号から、「ウクライナ情報交差点」という連載コーナーを常設し、基本的に私は同コーナーで毎号ウクライナについての記事を書き続けてきたのである。2022年に北大に移り『ロシアNIS調査月報』の編集から外れても、「ウクライナ情報交差点」の記事の寄稿は続けてきた。そして、このほど2024年2月号が発行され、「考えてみれば、ウクライナの連載を始めてから、もう10年が経ったんだな」と気付き、しみじみと感慨にふけったというわけである。今回のエッセイのタイトル「マイ・ウクライナ10周年」は、そういう意味である。

 連載第1回の画像は上掲のとおりで、私は連載開始の口上を以下のように述べている。

月報の前号ではウクライナの特集をお届けしたが、ウクライナのような重要国は3年に一度特集で取り上げればいいというものではあるまい。そこで、同国に関してなるべくこまめに情報を発信していくべく、「ウクライナ情報交差点」という新コーナーを開設することにした。

 上で「基本的に毎号」と述べたのは、「ウクライナ情報交差点」は連載記事なのでせいぜい2~4ページであることが多いのに対し、ウクライナに関しもっと本格的な10ページ以上のレポートを書くことが時々あり、そうした号では「ウクライナ情報交差点」を休んだりしたからである。とにかくウクライナについての記事を何らかの形で毎号載せることが眼目だったので。

 「ウクライナ情報交差点」は、2014年2月号の「2013年のウクライナ経済を回顧する」から、2024年2月号の「ウクライナ経済はどこまで耐えられるか」までで、計103回を数えたようだ。もちろん、これからも続けるつもりである。私の人生の重要な1ページになった(実際には累計数百ページだが)。

(2024年1月28日)