2つの「監修」仕事

 私はこれまで、様々な書籍の刊行に関わってきたが、「監修」という立場で出版を手伝ったことはなかった。ところが、昨年の終わり頃に相次いで2件、書籍の監修を依頼され、ともに引き受けることにした。そして、この春にそれらが実際に日の目を見たので、簡単に語ってみたい。

 まず、昭文社から刊行された『地図でスッと頭に入るロシア』の監修を務めた。昭文社と言えば地図の出版社として有名であり、その特性を生かして、様々な事柄を地図から解き明かす「地図でスッと頭に入る」シリーズというのを手掛けている。その一環として、ロシアの入門書を出すことになり、その監修を私が担当することになったというわけである。出版社による紹介文を引用すると、以下のとおり。

 ロシア・ウクライナ戦争、台湾情勢、中東の不安定化――複雑化する世界情勢を「国同士の同盟と対立」という視点から一望できる一冊です。日米同盟、NATO、QUAD、AUKUS、中国・ロシア陣営など、ニュースで耳にする枠組みを地図と図解で徹底整理。1テーマ1見開き構成で、重要ポイントが直感的に理解できます。一般社会人の時事理解はもちろん、国際情勢を学び始めたい中高生・大学生にも最適。世界の力関係が「構造」で見えてくる、いま読むべき国際関係入門書です。

 本書は、専門家が執筆したわけではなく、ライターさんが情報を集めて、それに基づいてまとめたものである。私は、出来合いのゲラの段階で、修正すべき点や助言を伝えるという形だった。章立てや取り上げるべき題材の検討段階から参加できれば、もっと良かったかもしれない。とはいえ、私に与えられたタスクの範囲内で、出来る限りのことはしたつもりである。

 そしてもう1点が、照井希衣著『ベラルーシ獄中留学記』(小学館)である。こちらも出版社の紹介文を引用しておこう。

 旧ソ連での撮り鉄活動に傾倒した「私」は、2024年12月、新たな”被写体”を求め、ヨーロッパ最後の独裁国家・ベラルーシへ向かった。撮り鉄活動は警察沙汰になってしまう。取り調べのさなか、迷惑をかけまいと友人との連絡を隠そうとしたことが仇となり、「私」は拘束され、そして投獄された。孤独の中、獄中でロシア語を学びながら「私」は考える。自身の性同一性障害のこと、父親との関係、そして人生について―― 200 日にわたる獄中”留学”記。ノンフィクション・エッセイです。

 このHPを読んでくれている人ならご存じのとおり、ベラルーシは私にとって関わりの深い国である。しかし、最初1998年に在ベラルーシ大使館で専門調査員として働くことになったのは、当時の勤務先の幹部に勝手に決められたものであり、自分の意志ではなかった。そんなわけで、まったく不本意なベラルーシ赴任であったが、その時点の私は、ロシア語力が弱かった。そこで、「意に反するベラルーシ駐在ではあるが、せっかく来たのだから、この機会をロシア語習得に活かそう。ベラルーシのことをロシア語の『語学流刑地』と位置付けよう」と考えたのだった。そんな私にとり、ベラルーシにおける獄中ロシア語留学という本書の筋立ては、私の人生とも重なって感じられた。ついでに言うと、昨年個人的にロシア旅行を試みた際に、ロシア出入国時に受けた執拗な取り調べの経験が生々しく残っており、本書で綴られている体験はとても他人事とは思えず、最初に原稿に目を通した時から「この本は世に問うべきだ」と直感し、それで監修をお引き受けしたのである。

 なお、関連企画として、ベラルーシ情勢について私がインタビューに応じたものがこちらこちらに出ているので、よかったらご笑覧いただきたい。

 ところで、この本には、私が監修者であるとは明記されていない。実を言うと、出版社から、名前を出しても出さなくてもどちらでもいいと言われたので、思案した末に、今回は名前を出さないことにした。最初は、「監修と言うからには、解説なども書くことになるのだろう。この本が世に出れば、私の名前もベラルーシ当局の目に触れて、これで私がベラルーシを訪問することは半永久的にできなくなるだろう。でも、もう仕方あるまい」と腹をくくったのだった。ところが、編集者から、解説やあとがきの類は必要なく、名前を出しても出さなくてもどちらでもいいと告げられ、「それだったら、名前を出さないことにするか。次回ベラルーシ訪問を試みた際に、入国拒否といった事態の可能性を、少しでも下げるために」と判断したのである。なお、その割にはブログやこのHPで監修のことをカミングアウトしてるじゃないかとツッコまれそうだが、ベラルーシ当局がそこまで徹底した情報収集はしないだろうという計算による。

 なので、『ベラルーシ獄中留学記』は、監修と言っても、地名のチェックが主な役割だった。なお、私自身にとってはベラルーシ=ロシア語流刑地だったように、照井希衣さんもあくまでも獄中ロシア語留学なので、本書の固有名詞はベラルーシ語ではなくロシア語で統一してある。何十時間も費やした『地図でスッと頭に入るロシア』と異なり、『ベラルーシ獄中留学記』の仕事は楽だったなぁ(笑)。

(2026年4月26日)

「現役アーティスト」布施明コンサートで考えさせられたこと

 以前のエッセイ「最近の私の音楽ライブ観賞モード」で表明したムーブメントは、引き続き実践中だ。札幌に来てくれたベテランの邦楽アーティストを、「一度は観ておけ」、もっと言えば「生きてるうちに見ておけ」とばかりに鑑賞するという活動である。

 昨年で言うと、岩崎宏美・岩崎良美の姉妹コンサートというのが夏頃にあり、それを楽しんできた。個人的に、岩崎宏美はかなり思い入れの深い歌手であり、70年代に愛聴した。始めて生で観た岩崎宏美は、66歳になっていて、この人の最大の魅力である高音を地声で張る唱法が影を潜め、高い音は全部ファルセットに逃げるようになってしまっていたのは、残念だった。歌唱力そのものは健在なのだけど、どうも女性歌手ほど、年齢を重ねると高音が厳しくなるようだ。他方、妹さんの方は、80年代に活躍した人なので、その頃テレビを一切観なかった自分はほとんど通ってこなかったのだけど、今回のコンサートでも仕草・表情などがあまりに可愛く、この人は根っからのアイドルなのだな、などと感じた。まあ、お姉さんの方を全盛期に生で観ておけばよかったとは思ったが、トータルとして大変楽しめたコンサートだった。

 それで、この3月には、布施明コンサートというのに行ってきた。ところが、その中身に、大いに考えさせられてしまったのである。

 布施明と言えば、70年代にヒットを連発していた頃は、高音を絶妙に操る名手という印象だった。しかし、その彼ももう78歳ということであり、鑑賞前は、果たしてこの人はまだ声が出るのだろうかという疑問があった。しかし、幕が上がると、その点はまったく心配ご無用だった。たとえば、開幕して2曲目に披露された「君は薔薇より美しい」は、スイングジャズに改編こそされていたが、「変わった~」の高音部を完璧にこなし、大いに会場を沸かせた。ボーカリストとしてはまったく衰えていないんだなと、感心させられた。

 しかし、ステージの内容が、そのあとあたりから段々怪しくなっていった。まず、披露される曲が、無名曲ばかり。その上、一人芝居と歌をミックスしたような奇抜なパフォーマンスを披露する。これに関しては、本人が「とても評判の悪いコーナー」と自虐していたくらいだった。こちらの心境としては、「まあいい、あとでじっくり、お目当ての70年代のヒット曲をたっぷり聴かせてくれれば、それでOK」などと思いながら、知らない曲を我慢して聴いている状態だった。

 ところが、驚いたことに、70年代のヒット曲は、ワンコーラスずつのメドレーで披露されたのである。個人的に楽しみにしていた「積木の部屋」、「陽ざしの中で」、「旅愁~斑鳩にて~」といった曲たちが、ほんの一節しか歌われなかったのだ。

 それでも、まだ希望はあった。さすがに、名刺代わりの「シクラメンのかほり」だけは、フルコーラス歌ってくれるに違いない。そう信じていたのだが、そこでまさかの事態が。メドレーの中で、シクラメンのあのイントロが流れ出したのである。シクラメンさえも、メドレーの一部にしてしまうのか。もう絶望的な気持ちになった。しかも、こちらは美しいメロディを美しいままに聴きたいのに、布施氏はシクラメンを思い切りレイドバックさせて、崩して歌っていた。

 要するに、布施氏は代表作である「シクラメンのかほり」をはじめとする自らの持ち歌に、飽きているのである。もちろん、気持ちも分かる。もう1万回くらい歌わされた曲であり、自分自身でマンネリ感があるのだろう。自分が70年代のヒット曲で飯を食う懐メロ歌手であるとは認めたくなく、いまだにクリエイティブな現役のアーティストであると自己主張したいのだろう(そして、その力量は確かにある)。それゆえに、ウケもしない一人芝居と歌の組み合わせをゴリ押しする。持ち歌の中でも、「恋はサバイバル」や「マイウェイ」のような洋楽カバーはフルコーラス&全力で披露したりする。

 しかし、この日、札幌文化芸術劇場hitaruに集まった観客の大部分は、私と同じように、70年代のヒット曲を期待していたはずである。本人もそのことは気付いているはずなのに、それでも観客が聴きたい曲ではなく、自分がやりたい曲を演るというのは、プロフェッショナルとしてどうなのだろうか。はっきり言って、「シクラメンのかほり」のような日本の音楽史に刻まれる名曲を持ち歌として神から与えられた者は、それを丁寧に歌い続ける義務があるはずである。それを短縮したり、デフォルメしたりする権利は、本人にもないと言いたい。

 そう言えば、私の敬愛する山下達郎氏は、いみじくも、ベテラン歌手が歌を崩して歌うのは、飽きているからだというようなことを指摘していたな。そして、「もしかしたら10年振りに私のコンサートに来てくれる人もいるかもしれないから、そういう人たちが戸惑わないように、コンサートの流れは変えない」という方針を述べていたっけ。まあ、達郎氏は達郎氏で、面倒くさいところもあるのだが(笑)、観客に奉仕するというあの人の姿勢には本当に敬服する。

 それで考えたのだが、山下達郎コンサートで、演者側も、観客も、常に新鮮に演奏に向き合えるのは、音楽の中でインプロビゼーションが効いているからなのかもしれない。つまり、達郎氏は歌そのものは崩さないが、スキャット部分は変化するし、腕利き揃いのバンド演奏の生のグルーブ感はまさに生き物で、楽器のアドリブのスリルもある。それに比べると、布施氏のバックバンドは基本的にカラオケのようなものなので、どうしてもそれに合わせて歌手が歌うだけの単純な構図になりがちで、それで本人も飽きがちなのかもしれない。

 そう言えば、最近欧米でも大人気のスーパーギタリスト、高中正義氏が2024年9月に札幌に来てくれたんだけど、それも観に行ったんだよね。上の写真は開演前の機材準備の風景だから、写っているのは高中氏じゃないけど。それで感心したのは、高中氏が「ブルー・ラグーン」のギターソロを、レコード通りに弾いていることだった。ギターなんて、ボーカル以上に崩したり、全く違うフレーズを弾きたくなるものだけど、「ブルー・ラグーン」のソロとなると、みんな歌えるくらいのレベルだから、高中氏は自分のエゴを捨てレコード通りに弾くことで、観客に奉仕してるんだよね。

(2026年3月31日)

北大の入学試験に思う

 仕事が立て込んでおり、まとまった文章を書く余裕がない。また何か月も滞ってしまうのはよくないので、簡単なネタだけ。

 2月25日に、我が北海道大学で入学試験「一般選抜個別学力検査等(前期日程)」というのがあった。ついこの間までは札幌で大雪が降って交通機関が乱れまくったりしていたわけだが、2月下旬になるとだいぶ気象も落ち着き、トラブルなく試験ができて、安堵した。3月12日には「一般選抜個別学力検査等(後期日程)」というのが控えており、そちらは例の嵐の札幌公演と重なってホテルが取れないという問題が指摘されているわけだが、受験生の皆さんはどうにか無事に乗り切ってほしいものである。

 さて、せっかくなので、2月25日の前期日程で出題された問題のうち、数学、英語、国語の試験問題を、私も眺めてみた。

 正直に告白すれば、私がこの試験を受けたら、まず数学は0点だと思う。私は、高校の早い時期に東京外国語大学受験を決め、外大は二次試験で数学がなかったので、当時の共通一次試験に必要な数Ⅰしか履修せず、数Ⅱは積極的に捨てる戦術をとった。結果的に共通一次の数Ⅰは満点がとれたので、数学的な素養がまったくないわけではないつもりなのだが、とにかく数学は外語入学に必要な最小限で済まそうという姿勢だった。

 考えてみると、現在、我々の北海道大学スラブ・ユーラシア研究センターの専任教員はほとんどが東大出身で、たぶん東大入試には数Ⅱも必要だったはずだから、皆さん文系といえども数学をきっちりやられたのだと思う。なので、スラ研では、経済が専門の服部が一番数学ができないという、ヤバいことになっているのではないだろうか。それなりに習得した数Ⅰも、もう40年以上前の話なので、まったく覚えていない。なので、今回の北大の数学入試問題を見ても、問題の意味すら分からないような状態であり、0点確実である。

 一方、英語の問題を拝見したところ、これはたぶん全問正解できると思う。100点だ。

 そして、国語の問題も見てみたのだが、これがなかなか難しかった。現代国語だけでなく、高校時代にも苦手だった古文や漢文も含まれており、60点くらいとるのがやっとか。私は高校時代は現国もあまり得意ではなく、それは担当した教師が威圧的で魅力のない人物だったことも大きいが、いずれにしても、まさか自分が文章を書いたり本を出したりする人になるとは思っていなかった。文章を書くことは、大学に入ってから、レポートなどの課題に対応する中で、書く楽しみを覚えた感じだった。

 数学が0点で、英語が100点で、国語が60点か。これじゃあ北大合格はおぼつかないか。

(2026年2月28日)

戦時下ロシア極東・シベリアの旅:ノヴォシビルスク編

 年をまたいでしまったが、引き続き昨年9月に敢行したロシア極東・シベリアの旅のフォトギャラリーをお届けする。今回は最終回で、ノヴォシビルスク編。ノヴォシビルスクは、以前も一度行ったことがあり、新規開拓という意味では「どうしても」という感じではなかったのだが、何と言ってもロシア東部の航空路線のハブであり、中国便に乗り継いで帰国するためには順当な経由地である。また、今回モスクワ訪問は叶わなかったが、ロシアの大都市は今どんな雰囲気なのかというのを観察する上で、ノヴォシビルスクは格好の対象であり、約1日この街を歩き回った。

定番の州行政府撮影 重要地域の割には、意外と地味か

ロシアでは9月14日投票締め切りで統一地方選挙があった 今回私が回った地域の中では、
唯一ノヴォシビルスク州で本格的な規模の選挙戦が見られた(州議会選挙)

当地の重要企業に、ノヴォシビルスク航空機工場がある
しかし、機微だしご時世もあるので、工場近くの公園でMiG17のオブジェだけ撮影して退散

ノヴォシビルスクの街はオビ川の両岸に広がっており、これは川にかかる橋

シベリアの理髪師

当地のサッカークラブ「FCシビーリ」は、2010年に1年だけプレミアに
上がったことがあるが、その後は2部暮らし
私の訪問時には試合はなかったので、ショップでポロシャツだけ買って帰ってきた

実はノヴォシビルスクは我が札幌市とは姉妹都市で、街には日本文化センターがある
今回の旅行で私が唯一公式的に訪問させてもらったのが、ここだった
ただ、日露関係の悪化で、運営には苦心はなさっているご様子
最近では日本語だけでなく中国語や韓国語の教室も開いている由

 さて、遅ればせであるが、9月に私がやったロシア極東・シベリア5都市周遊の旅を、地図にしてみた。

 そして、以前のこちらこちらのエッセイでお伝えしたように、私は(ウクライナからの併合を主張している地域を除いた)ロシアに83ある地域をすべて訪問したいという野望を抱いているのだが、ちょうどそれらのエッセイを書いた直後に起きたコロナ禍と戦争により中断を余儀なくされ、83地域のうち53を訪問したところで6年間も足踏みを余儀なくされていた。下の地図が前回お目にかけた既訪問地域の地図で、赤いところが訪問済みのところ。今回の旅でハンティ・マンシ自治管区、アルタイ地方、ブリヤート共和国を潰し、残りは27となった。さて、私はゴールにたどり着けるのだろうか?

(2026年1月31日)