北大の入学試験に思う

 仕事が立て込んでおり、まとまった文章を書く余裕がない。また何か月も滞ってしまうのはよくないので、簡単なネタだけ。

 2月25日に、我が北海道大学で入学試験「一般選抜個別学力検査等(前期日程)」というのがあった。ついこの間までは札幌で大雪が降って交通機関が乱れまくったりしていたわけだが、2月下旬になるとだいぶ気象も落ち着き、トラブルなく試験ができて、安堵した。3月12日には「一般選抜個別学力検査等(後期日程)」というのが控えており、そちらは例の嵐の札幌公演と重なってホテルが取れないという問題が指摘されているわけだが、受験生の皆さんはどうにか無事に乗り切ってほしいものである。

 さて、せっかくなので、2月25日の前期日程で出題された問題のうち、数学、英語、国語の試験問題を、私も眺めてみた。

 正直に告白すれば、私がこの試験を受けたら、まず数学は0点だと思う。私は、高校の早い時期に東京外国語大学受験を決め、外大は二次試験で数学がなかったので、当時の共通一次試験に必要な数Ⅰしか履修せず、数Ⅱは積極的に捨てる戦術をとった。結果的に共通一次の数Ⅰは満点がとれたので、数学的な素養がまったくないわけではないつもりなのだが、とにかく数学は外語入学に必要な最小限で済まそうという姿勢だった。

 考えてみると、現在、我々の北海道大学スラブ・ユーラシア研究センターの専任教員はほとんどが東大出身で、たぶん東大入試には数Ⅱも必要だったはずだから、皆さん文系といえども数学をきっちりやられたのだと思う。なので、スラ研では、経済が専門の服部が一番数学ができないという、ヤバいことになっているのではないだろうか。それなりに習得した数Ⅰも、もう40年以上前の話なので、まったく覚えていない。なので、今回の北大の数学入試問題を見ても、問題の意味すら分からないような状態であり、0点確実である。

 一方、英語の問題を拝見したところ、これはたぶん全問正解できると思う。100点だ。

 そして、国語の問題も見てみたのだが、これがなかなか難しかった。現代国語だけでなく、高校時代にも苦手だった古文や漢文も含まれており、60点くらいとるのがやっとか。私は高校時代は現国もあまり得意ではなく、それは担当した教師が威圧的で魅力のない人物だったことも大きいが、いずれにしても、まさか自分が文章を書いたり本を出したりする人になるとは思っていなかった。文章を書くことは、大学に入ってから、レポートなどの課題に対応する中で、書く楽しみを覚えた感じだった。

 数学が0点で、英語が100点で、国語が60点か。これじゃあ北大合格はおぼつかないか。

(2026年2月28日)

戦時下ロシア極東・シベリアの旅:ノヴォシビルスク編

 年をまたいでしまったが、引き続き昨年9月に敢行したロシア極東・シベリアの旅のフォトギャラリーをお届けする。今回は最終回で、ノヴォシビルスク編。ノヴォシビルスクは、以前も一度行ったことがあり、新規開拓という意味では「どうしても」という感じではなかったのだが、何と言ってもロシア東部の航空路線のハブであり、中国便に乗り継いで帰国するためには順当な経由地である。また、今回モスクワ訪問は叶わなかったが、ロシアの大都市は今どんな雰囲気なのかというのを観察する上で、ノヴォシビルスクは格好の対象であり、約1日この街を歩き回った。

定番の州行政府撮影 重要地域の割には、意外と地味か

ロシアでは9月14日投票締め切りで統一地方選挙があった 今回私が回った地域の中では、
唯一ノヴォシビルスク州で本格的な規模の選挙戦が見られた(州議会選挙)

当地の重要企業に、ノヴォシビルスク航空機工場がある
しかし、機微だしご時世もあるので、工場近くの公園でMiG17のオブジェだけ撮影して退散

ノヴォシビルスクの街はオビ川の両岸に広がっており、これは川にかかる橋

シベリアの理髪師

当地のサッカークラブ「FCシビーリ」は、2010年に1年だけプレミアに
上がったことがあるが、その後は2部暮らし
私の訪問時には試合はなかったので、ショップでポロシャツだけ買って帰ってきた

実はノヴォシビルスクは我が札幌市とは姉妹都市で、街には日本文化センターがある
今回の旅行で私が唯一公式的に訪問させてもらったのが、ここだった
ただ、日露関係の悪化で、運営には苦心はなさっているご様子
最近では日本語だけでなく中国語や韓国語の教室も開いている由

 さて、遅ればせであるが、9月に私がやったロシア極東・シベリア5都市周遊の旅を、地図にしてみた。

 そして、以前のこちらこちらのエッセイでお伝えしたように、私は(ウクライナからの併合を主張している地域を除いた)ロシアに83ある地域をすべて訪問したいという野望を抱いているのだが、ちょうどそれらのエッセイを書いた直後に起きたコロナ禍と戦争により中断を余儀なくされ、83地域のうち53を訪問したところで6年間も足踏みを余儀なくされていた。下の地図が前回お目にかけた既訪問地域の地図で、赤いところが訪問済みのところ。今回の旅でハンティ・マンシ自治管区、アルタイ地方、ブリヤート共和国を潰し、残りは27となった。さて、私はゴールにたどり着けるのだろうか?

(2026年1月31日)